2015年07月23日

最後まで書く経験は、何を得られるか

僕が常々5分シナリオを沢山書け、
と言う理由は、完結させた経験を積め、
ということとほとんど同義だ。

1本も完結させたことのない長編書きより、
10本5分を完結させたことのある奴の方が実力が上だ。
100本5分を完結させたことのある奴は、
2本しか長編を完結させたことのない奴より、
実力は鍛えられている。

完結の回数は、特に初心者の頃飛躍的に実力を向上させる。

具体的な効用を書いてみよう。


ペース配分が掴めるようになる:

今序盤を書いているのか、中盤なのか、終盤なのか掴める。
自分の体力配分、ネタの尽き具合の配分、
テンションの配分が出来るようになる。

はじめてのトーナメントか、
何度目かのトーナメントの違いだ。
人生が何回目かだとしたら、随分楽だろうね。


全体と部分の関係が分かる:

精密だが手とか足とか頭とか、パーツしか作ったことのないロボット学者と、
安価だけど全身で動くロボットを作るロボット学者を比較しよう。

後者の方が、全身の時に起こる問題のことを知っている。
転んだときの起き上がり方とか、
適切な手足のバランスとか、
適切な頭の重量とか、
適切な関節の柔軟性とか、
バッテリー駆動時間と各部の電力消費とか。

それは、手や足だけを作ったことしかなければ、
永遠に分からず、存在さえも知らないことかも知れない。

お話は、全体があることで、
はじめて部分に対しての要求が生まれる。

ここで伏線を張るべきとか、ここではまだ必要ないとか。
それは部分を書いていては永遠にどっちでもいいことで、
全体からの逆算の経験を一度も出来ない。
良く出来た場面だがバッサリ切ったり、
ここでためる為にためを足していったりする経験を、
沢山詰まないと、全体の為に存在する部分を作ることが難しい。
全体を考えない部分は、
大抵近視眼的だ。

オープニングやツカミや人物紹介や、
きっかけの事件や第一ターニングポイントの達人になっても、
しょうがないよね?


話とテーマの関係が分かってくる:

テーマを言わずしてテーマを語るには、
話の構造をどうすればいいか、
分かるようになる。
テーマを言っちゃうのは下の下だ。無粋である。
粋なテーマの暗示の仕方について、
考えられるようになる。

ここまで読めば何となく分かると思うけど、
要するに「下手がうまくなる」ということを書こうとしている。



カタルシスについて分かるようになる:

今までの話全体をまとめるクライマックスのカタルシスについて、
理解がすすむ。

理解できれば研究できる。


不足や過剰が分かってくる:

全体が分かれば部分の不足や過剰が、
書く前から判断できるようになる。
とすると、準備段階でやるべきことの不足や過剰も分かるようになる。
慣れとはつまりそういうことだ。
効率的になってくるのだ。


あなたには気づかないこと、分からないことがあることを知る:

終わってみると、アレはああいうことだったのか、
と、振り返らないと分からないことは沢山ある。
それは、最中には気づかない。
その最中に、自分の気づいていないことには気づけない。

中学生活をする前、中学生活真っ只中、中学生活を終えた今を思いだそう。
知らないから出来たことも沢山あるが、
知っていればもっと効率的に、しかも最大効果的に、
失敗せずに、大成功出来たはずだ。

また、違うことをそうだと勘違いしていることがある、
ということもある。

「その最中には分からないことがある」ことを知るだけ、
無知という知を知れるのだ。



ストーリーラインを操れるようになる:

一本のストーリーラインだけでなく、
複数のストーリーラインを操れるようになる。
それは、慣れてないと出来ないことだ。


複数の視点を考えられるようになる:

主人公から見た敵。敵から見た主人公。
主人公が知ってる敵。主人公が知らない敵の部分。
敵が知ってる主人公。敵が知らない主人公の部分。
こういうのを細かく把握出来るようになる。
一回じゃなくて何回もやっての慣れだけど。


批評と向かい合えるようになる:

初めての作品の批評は、耐え難く傷つくものである。
それを乗り越えた人だけが、
批評と向かい合い、世界を相対的にとらえられるようになる。




これらを総合してざっくりいうと、客観的になれる、と言えるかな。
つまり、最後まで書いたことない人は、
まだ主観の世界にとどまっているに過ぎない。

逃避行動として創作をする人もいるから、
殻に閉じこもるのを一概には否定しないけど、
プロを目指すのなら、主観だけの世界ははやく卒業した方がいい。
(卒業というと語弊がある。
主観と客観をシームレスに渡れるようになるのがベスト)

面白い面白くないの判断、
良くできているか出来ていないかの判断、
好きや嫌いの判断などが、
主観と客観の両方で出来て、はじめてまともな目を持ったといえる。

それは、完結させたこともないずぶの素人には到底無理なことだ。

僕が書いている最近の多くのことは、
ひょっとするとそのような素人には何の役にも立たないどころか、
害にすらなる(耳年増的に)かも知れない。
レーサー達に向けて書くことと、
完走未経験者に向けて書くことは、随分違うかもだ。


(蛇足だけど、完走未経験者みたいなプロが増えたよね)
posted by おおおかとしひこ at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック