2015年07月24日

「おもしろい」という感情を常に分析しよう

たとえば語彙の貧弱な人が、
可愛くて、笑えて、おもしろかったよ、
と感想を述べた映画は、
果たして我々的に「面白い」のだろうか。


こういう場合の「おもしろい」は、
本質をさすとは限らない。

「泣いたり怖かったりしたけれど、最終的にはハッピーエンドになって満足した」
ということを言っている可能性があるからだ。

感情移入の上手じゃない人は、
知っている芸能人ばかりだったから、
知らないキャストが出てなくて不安じゃなかったから、
「おもしろかった」と言う感想を述べるかもしれない。


おもしろい、という言葉は、
何をどう指しておもしろかったのかを細かく指定する事なく、
自分の満足をさす言葉のような気がする。


何で満足するかは人によって異なる。

服の好きな人なら、ファッションばかり見ていて、
見ているだけで眼福であった、
(内容は過酷なのに)
というだけで、内容はあまり見てなくて服ばかり見ていて、
それはそれは面白かった、などと言うかも知れない。


僕がいう「面白い」とは、
ストーリーの出来が良く、減点がないどころか加点ばかりで、
なおかつテーマが心をえぐり現代をえぐり、
なおかつ新しい価値を今に提示しているものを言う。

つまり、物語の芸術として良く出来ているかどうか、を基準にする。

そこまで考え尽くしていない人の、
おもしろい、は信用出来ない。


それほんとに「おもしろい」?
おもしろいのだとしたら、何がどうおもしろい?
そこまで表現して、はじめておもしろいの内容が明らかになる。

あなたは、ただ面白かったと物語を表評するべきではない。
どこがおもしろかったかを、詳細に表現してみよう。

それが蓄積してきたとき、
自分の作品のどこがおもしろいかを、的確に分析する言葉を、
手に入れていると言えるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
物語としての「面白い」は、人の感情を喜怒哀楽どれでもいいから動かしたってことだと思ってるんですが、あってるんでしょうか?
Posted by 所 at 2015年07月25日 12:10
所さんコメントありがとうございます。

語彙が貧弱すぎると思います。
たとえば、
「グイグイ来る」「やられたー!」「感動して鳥肌」
「こんな世界があったらなあ」「望郷の念」「心配」
などは、
喜怒哀楽のどれにも入りません。
人の複雑な感情を4つに分類するなんて、乱暴すぎます。

また、ひとつの感情しかないのは、
所詮点の面白さです。
面白さ1→面白さ2→…面白さNのように、
目まぐるしく面白さが変化して、
激流のように我々の感情が飲み込まれて行くのが、
線としての物語の面白さだと思います。

たかが5分の話にもそれはあります。
ベストの例ではありませんが、僕の「たった一滴の乾杯」はさまざまな(言葉のついていない)感情を次々に刺激するでしょう。
作品置き場に置いてあります。
わりと評判のいい「公園のCM」もいい作例かな。
(2015.2.17「視点の転換」)

ひとつの感情しか認識できないのは、
終わったあとに分析するからです。

時々一時停止して、観客としての自分の感情をメモするのは、研究の仕方としておすすめです。

あ、短編では「アーム・ジョー」という傑作漫画がありましたね。検索すれば出てくると思います。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年07月25日 15:34
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