たとえば語彙の貧弱な人が、
可愛くて、笑えて、おもしろかったよ、
と感想を述べた映画は、
果たして我々的に「面白い」のだろうか。
こういう場合の「おもしろい」は、
本質をさすとは限らない。
「泣いたり怖かったりしたけれど、最終的にはハッピーエンドになって満足した」
ということを言っている可能性があるからだ。
感情移入の上手じゃない人は、
知っている芸能人ばかりだったから、
知らないキャストが出てなくて不安じゃなかったから、
「おもしろかった」と言う感想を述べるかもしれない。
おもしろい、という言葉は、
何をどう指しておもしろかったのかを細かく指定する事なく、
自分の満足をさす言葉のような気がする。
何で満足するかは人によって異なる。
服の好きな人なら、ファッションばかり見ていて、
見ているだけで眼福であった、
(内容は過酷なのに)
というだけで、内容はあまり見てなくて服ばかり見ていて、
それはそれは面白かった、などと言うかも知れない。
僕がいう「面白い」とは、
ストーリーの出来が良く、減点がないどころか加点ばかりで、
なおかつテーマが心をえぐり現代をえぐり、
なおかつ新しい価値を今に提示しているものを言う。
つまり、物語の芸術として良く出来ているかどうか、を基準にする。
そこまで考え尽くしていない人の、
おもしろい、は信用出来ない。
それほんとに「おもしろい」?
おもしろいのだとしたら、何がどうおもしろい?
そこまで表現して、はじめておもしろいの内容が明らかになる。
あなたは、ただ面白かったと物語を表評するべきではない。
どこがおもしろかったかを、詳細に表現してみよう。
それが蓄積してきたとき、
自分の作品のどこがおもしろいかを、的確に分析する言葉を、
手に入れていると言えるだろう。
2015年07月24日
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語彙が貧弱すぎると思います。
たとえば、
「グイグイ来る」「やられたー!」「感動して鳥肌」
「こんな世界があったらなあ」「望郷の念」「心配」
などは、
喜怒哀楽のどれにも入りません。
人の複雑な感情を4つに分類するなんて、乱暴すぎます。
また、ひとつの感情しかないのは、
所詮点の面白さです。
面白さ1→面白さ2→…面白さNのように、
目まぐるしく面白さが変化して、
激流のように我々の感情が飲み込まれて行くのが、
線としての物語の面白さだと思います。
たかが5分の話にもそれはあります。
ベストの例ではありませんが、僕の「たった一滴の乾杯」はさまざまな(言葉のついていない)感情を次々に刺激するでしょう。
作品置き場に置いてあります。
わりと評判のいい「公園のCM」もいい作例かな。
(2015.2.17「視点の転換」)
ひとつの感情しか認識できないのは、
終わったあとに分析するからです。
時々一時停止して、観客としての自分の感情をメモするのは、研究の仕方としておすすめです。
あ、短編では「アーム・ジョー」という傑作漫画がありましたね。検索すれば出てくると思います。