激しい対立こそ、映画の華だ。
正確に言うと、脚本の華だ。
これがあるからこそ、
アクションシーンや凄いシーンやスカッとしたり感動するシーン、
つまり映画の華が生まれる。
その原動力は、激しい対立である。
映画に華を咲かせたければ、
脚本上、激しい対立が必要だ。
さて、両者
(二人の人間、団体、国家など)
の対立点は何だろうか。
Aの主張とBの主張は、
並び立たないものであるはずだ。
そうでなければ激しい対立は起こらないからである。
妥協を見いだせそうなら、
緩やかな対立でしかないだろう。
互いに並び立つことのない、
排他的主張である必要がある。
民主主義と君主制でもいい。
(ヒトラーの反省後数々作られた物語の、基本構造だと思う)
うどん派とそば派でもいい。
その両者は、何故対立するのか?
一方から見た他方は、何故受け入れがたく、許しがたいのか?
それを両方の立場から考えておく必要がある。
民主主義は、独裁は悪だと考える。一人の愚か者を皆の知恵で止めるべきだと考える。
君主制は、民主主義は悪だと考える。愚民に任せたら国は滅ぶ。
共通点は、どちらも相手をバカだと思い、
自分に判断力があると思っていることだ。
うどん派対そば派を映画で描くことはないだろうから、
あなたの描く文脈での対立で、
対立点を考えるといいだろう。
何故AはBを許せないのか?
何故BはAを許せないのか?
これが対立点を明確にするということだ。
出来れば対句になるのがよい。
それが聞いたことのある対立点なら、
聞いたことのある解決法で解決できてしまうだろう。
つまり、先が読める陳腐な話ということである。
それがあまり聞いたことのない対立点なら、
とても面白い話になる可能性がある。
またゼータガンダム批判になるけど、
「地球に魂を引かれた、旧来の価値観の人々」と、
「宇宙世代の価値観の人々」という対立のコンセプトはとても良かった。
どんな面白い話が作られるのだろうとワクワクしたものだ。
が、対立点が明確にされなかったのだ。
何がどう対立するのか、分からなかったからだ。
「宇宙開拓中止、コロニーを止めて地球へ全員帰還」対、
「地球へは戻らない、火星軌道や木星軌道に人類の開拓を進めるべき」
などのような、明確な(分かりやすい)対立点があれば、
もっともっと話は面白くなっただろう。
ニュータイプを認めない連邦側が人工ニュータイプを製造しているという皮肉が、
フォウに効いたに違いない。
(ゼータはフォウパートだけがオリジナリティーあるストーリーだ。
ララアに似てはいるけれど)
対立点を明確にするコツは、
ビジュアル上想像できる対立点にするべきだ。
カワイイ系とキレイ系とかではなく、
この例では「コロニー廃棄」対「地球廃棄」のようにだ。
抽象的な主張や思想で対立すると、
話が抽象的になりすぎる。
双方の主張や思想の結果、
「ビジュアル的な結論(つまりイコン)が違う」
ようにするといいだろう。
民主主義vs君主制は、
「議会」と「一人で命令を出して皆が従う」の、
ビジュアルの差で表現できる。
だから明確化しやすい。
絵で語るということは、実際の絵の事だけを示さない。
こうやってイメージさせることも含んで言うのである。
勿論うどん派vsそば派も、それぞれを食べているビジュアルや、
料理そのもののビジュアル(白の麺と黒の麺、あったかいのと冷たいの、
関西対関東)で対比出来るよね。
そういえば風魔vs夜叉は、
「絆を大事に成長を見守る」対
「自分勝手で周りを考えない」
の思想的対立でもあったが、
それを、
「常に食卓でみんなでいる」対
「常にバラバラで行動」
のビジュアル的な対照で描いていることも重要だ。
極端に言えば、絆vs非絆とも言える。
それは絵的に想像しやすい。
だから、分かりやすい。
つまり、対立点が明確になり、
双方の主張が際立ってわかるのである。
双方の対立点を明確に。
それを絵的に想像しやすく。
さらに、ある一点で対照的に。
ここまで縮約させられて、
はじめてコンフリクトの準備が出来たようなもの。
あとは大喧嘩させるといいだろう。
2015年07月25日
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