2015年07月25日

対立点を明確にしよう

激しい対立こそ、映画の華だ。
正確に言うと、脚本の華だ。

これがあるからこそ、
アクションシーンや凄いシーンやスカッとしたり感動するシーン、
つまり映画の華が生まれる。
その原動力は、激しい対立である。

映画に華を咲かせたければ、
脚本上、激しい対立が必要だ。


さて、両者
(二人の人間、団体、国家など)
の対立点は何だろうか。

Aの主張とBの主張は、
並び立たないものであるはずだ。
そうでなければ激しい対立は起こらないからである。

妥協を見いだせそうなら、
緩やかな対立でしかないだろう。

互いに並び立つことのない、
排他的主張である必要がある。


民主主義と君主制でもいい。
(ヒトラーの反省後数々作られた物語の、基本構造だと思う)
うどん派とそば派でもいい。

その両者は、何故対立するのか?

一方から見た他方は、何故受け入れがたく、許しがたいのか?
それを両方の立場から考えておく必要がある。

民主主義は、独裁は悪だと考える。一人の愚か者を皆の知恵で止めるべきだと考える。
君主制は、民主主義は悪だと考える。愚民に任せたら国は滅ぶ。
共通点は、どちらも相手をバカだと思い、
自分に判断力があると思っていることだ。


うどん派対そば派を映画で描くことはないだろうから、
あなたの描く文脈での対立で、
対立点を考えるといいだろう。


何故AはBを許せないのか?
何故BはAを許せないのか?

これが対立点を明確にするということだ。
出来れば対句になるのがよい。

それが聞いたことのある対立点なら、
聞いたことのある解決法で解決できてしまうだろう。
つまり、先が読める陳腐な話ということである。

それがあまり聞いたことのない対立点なら、
とても面白い話になる可能性がある。


またゼータガンダム批判になるけど、
「地球に魂を引かれた、旧来の価値観の人々」と、
「宇宙世代の価値観の人々」という対立のコンセプトはとても良かった。
どんな面白い話が作られるのだろうとワクワクしたものだ。
が、対立点が明確にされなかったのだ。

何がどう対立するのか、分からなかったからだ。

「宇宙開拓中止、コロニーを止めて地球へ全員帰還」対、
「地球へは戻らない、火星軌道や木星軌道に人類の開拓を進めるべき」
などのような、明確な(分かりやすい)対立点があれば、
もっともっと話は面白くなっただろう。
ニュータイプを認めない連邦側が人工ニュータイプを製造しているという皮肉が、
フォウに効いたに違いない。
(ゼータはフォウパートだけがオリジナリティーあるストーリーだ。
ララアに似てはいるけれど)



対立点を明確にするコツは、
ビジュアル上想像できる対立点にするべきだ。
カワイイ系とキレイ系とかではなく、
この例では「コロニー廃棄」対「地球廃棄」のようにだ。

抽象的な主張や思想で対立すると、
話が抽象的になりすぎる。

双方の主張や思想の結果、
「ビジュアル的な結論(つまりイコン)が違う」
ようにするといいだろう。

民主主義vs君主制は、
「議会」と「一人で命令を出して皆が従う」の、
ビジュアルの差で表現できる。
だから明確化しやすい。


絵で語るということは、実際の絵の事だけを示さない。
こうやってイメージさせることも含んで言うのである。

勿論うどん派vsそば派も、それぞれを食べているビジュアルや、
料理そのもののビジュアル(白の麺と黒の麺、あったかいのと冷たいの、
関西対関東)で対比出来るよね。


そういえば風魔vs夜叉は、
「絆を大事に成長を見守る」対
「自分勝手で周りを考えない」
の思想的対立でもあったが、
それを、
「常に食卓でみんなでいる」対
「常にバラバラで行動」
のビジュアル的な対照で描いていることも重要だ。
極端に言えば、絆vs非絆とも言える。
それは絵的に想像しやすい。
だから、分かりやすい。
つまり、対立点が明確になり、
双方の主張が際立ってわかるのである。



双方の対立点を明確に。
それを絵的に想像しやすく。
さらに、ある一点で対照的に。
ここまで縮約させられて、
はじめてコンフリクトの準備が出来たようなもの。
あとは大喧嘩させるといいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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