雑多なものを雑多に集めても、
雑多な集合しか得られない。
何故なら、知とは、雑多な中から、
本質的なものを抽出して、シンプルにすることだからだ。
ということで、Wikiの三幕構成の項はひどい。
ツイストをヒネリと訳するのも誤訳だと思う。
日本語でちょっとヒネろう、と言えば、
ベタを避けてアレンジ入れようぜ、の意味だ。
ツイストは、ストーリーを転換させることであり、
そのひとつにどんでん返しがあるだけだ。
日本語のヒネリとは随分違う意味なので、誤訳です。
集合知は集合のあと、洗練という過程が必要なのだな。
2015年07月27日
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挙げられているリンダ・シーガーとかの邦訳の出典ママなのでは?
「予想していなかった事実の発覚」です。ストーリーは転換しません。
「ストーリーを転換させる」というのはプロットポイントであり、
それらは小さなものも含めると通常は10〜15ケあって、主に第2幕に
集中していると、今は亡きシド・フィールドも明言していますが、
それを「ツイスト」と表現している本は不勉強ながら存じません……
一読者の分際でありながら生意気なことを申し上げてしまい恐縮です。
その出典元が誤訳だ、という指摘です。
脚本論の邦訳は、誤訳というか、日本語としておかしな訳がとても多いと感じています。
(代表的なのは、コンフリクトを葛藤と訳すこと。
最近は葛藤と訳すヘマも減ってきたみたいですけどね)
ツイスト、ターニングポイント、プロットポイントに関しては、言葉の定義が理論家(必ずしもシドフィールド直系ばかりではないでしょう)によって揺れている気がします。
訳者のせいかも知れませんが。
少なくとも日本語で「ヒネリ」は、「予想していなかった事実の発覚」でないことだけは確かです。
事実が発覚しなくても、ストーリーに捻りを入れることは出来ますし。
「ベタとは全然違う方向に行くこと」が日本語のヒネリの定義かな。
じゃあターニングポイント(プロットポイント)と同じ役目。
これはツイストと一対一対応しない言葉です。
そもそも、ツイストが「予想していなかった事実の発覚」ならば、
次に起こることはその発覚を踏まえた行動の修正のはずで、
実質ターニングポイントになると思いますよ。
日本で独自に発展してきたものと、主にハリウッドで発展してきたものには、随分違いがあります。
フィルムアート社の本はとても良いのですが、
日本語の訳には多少問題があります。
日本で独自に発展してきたものと用語が被ることがあるのです。
訳者が、日本の業界に詳しくないからでしょう。
「Shot by shot」で、
カバレッジを撮影範囲と訳したり、
ステージングを配置演出と訳しているのは、
どちらも誤訳として酷いと思いました。
(それぞれ、別キャメラの同テイク素材、
導線またはダンドリ、などと日本の業界では言います。そもそも日本の演出で、
カバレッジやステージングがちゃんと行われることは稀です)
言葉の訳の問題はとても難しい。
杉田玄白が、西洋医学の言葉を中国医学の言葉で訳してしまったので、
肝臓と中医の肝、胃袋と中医の胃は違うものだ、ということをほとんどの人は知らないですよね。
そんな感じです。
ということで、Wikiの三幕構成は、
そこまで分かっていない人が編集した、
ダメな記事です。
何故なら、頭から読んでもサッパリ全体像が掴めないからです。
役に立たない理論は理論ではない。
理論や定義が先にあるのではなく、
ストーリーが先にあることを忘れないように。
そういうWikiは、読み手が頭が悪いのだと反省するのではなく、まだ洗練されていないと考えるべきです。
アナと雪の女王の分析もちょっとぬるいなあ。
あの映画、三幕構成がしっかりしてないんだよ。
特に第二ターニングポイントが弱い。
大岡先生の場合は、公開で返信して下さってありがとうございます。
"conflict"を「葛藤」と訳すことにご異議のあることは分かりますが、
"twist"はどの英和辞書を読んでも「ひねり」が和訳として標準です。
ここで「ひねり」というのは予想外の真実を知らされることですが、
プロットポイントと異なり、ストーリーは必ずしも転換しません。
それがリンダ・シーガーの定義です。「ひねりは、転換とは別物だ」
「敵の親玉が実は父親だった!」ストーリーは転換していません。
「自分はもう既に死んでいた!」ストーリーは転換していません。
プロットポイントと重複することはあっても概念的に別のものです。
「ひねりは、通常ストーリー構成の節目におかれる」というだけです。
訳者というよりリンダ・シーガー本人に文句を言うしかないでしょう…
大岡先生の説では「ツイスト」=「プロットポイント」になりますが、
それは誰のどの著書において主張されていることなのでしょうか…?
ふたつあります。
ストーリーの転換とは何か、の解釈が違うようです。
僕は「ダース・ベイダーは父だった」は、
ストーリーの転換だと思います。
何故なら、今までの焦点「にっくき敵のボスを殺す最大のチャンス」が、
別の焦点「それでもこの男を殺すべきか?という迷い」になるからです。
そういう意味でターニングポイント(プロットポイントと同義)だと僕はとらえています。
最近の記事でも書いていますが、
ストーリーの流れ(動き)が別物になるからです。
「あなたが好きなのです」
「わたしはあなたが嫌い」
「じゃあ友達になって」
では、すでに二回ストーリーの転換がある、
と僕は数えます。
逆に、あなたのおっしゃるストーリーの転換とは、
具体的にどのようなもの?
それが僕の考えていることと違う気がしました。
ふたつめ。
ツイストをひねりと機械的に和訳するのは正しいかも知れませんが、
日本の映像業界でいうヒネリは、
ハリウッド的なツイストを100%意味しません。
いい訳語かどうかは置いといて、
ツイストは「意外な(度肝を抜く)ターニングポイント」と訳して、
日本語のヒネリ(ベタを避けること。例えば隠し芸に歌を歌うのはベタ、空手の瓦割りをやるのはヒネリ。
必ずしもターニングポイントでなくてよい)と、
区別した方が誤解が広がらない、という話です。
ツイストは、ストーリーの流れを意外な方向にひねること、
ヒネリは、王道が予期され、退屈が予想されるときに意外なネタを持ってくることです。
ツイストは動的、ヒネリは静的(動的を含むこともある)です。
ざっくり言うとヒネリ≧ツイストです。
ツイストは、ターニングポイントのうち、ヒネリを効かせたものと理解するのは正しいですが、
ツイストしてほしいときにヒネリを効かせろと指示したとき、
扮装を奇抜にしただけでは、ヒネリの指示には答えていますが、ツイストの指示に答えていません。
コンフリクトを辞書にある葛藤と訳して何故悪い、ということと同じです。