2015年07月27日

世界観はストーリーではない

ということでマッドマックス見てきました。
(執筆から逃げているのか)

世界観は300点。
ストーリーは10点ぐらい。
計50点ぐらいの出来か。


リアル北斗の拳がまだ続いてるのかよ、
と目を見張る素晴らしい世界観。
スゲエクルマ、スゲエバイク、スゲエキャラ立ち。
白塗りの部下達、ギター野郎、棒の人たち、
ハリネズミの奴ら、歯の弾丸のやつ、婆さん達、
スキンヘッドで片腕のヒロイン、美人過ぎる花嫁達。
そしてスゲエ音楽。
完璧だ。
俺は完璧な世界の実写版を見ている、
そう錯覚する出来映え。
凄まじい全編アクション。
走行し続けながらのアイデア満載。
俺が中学生ならドハマリしただろう。

しかし。しかししかししかし。
マックスが微妙過ぎる。
濃いキャラに囲まれて、普通すぎる。
せめて何かひとつ必殺技があれば、
キャラ立ちで負けなかったのではないだろうか。
ナイフ投げぐらいでいいからさあ。


ストーリー的には、
「主人公は誰か?」という、
ヒーローもの特有の問題に向き合わねばならない。
シェーンの話を詳しく書いたように、
マックスはシェーンの役割である。
この物語の主人公は、スキンヘッドで義手のヒロイン、
フュリオサである。

何故なら、成長と変化のアークがあり、
彼女の決断と行動がメインストーリーの焦点になっているからだ。
(おまけに、最も内面の葛藤が語られている)
どうやってあの砦の女隊長に成り上がったか、
もしくはどうやって(騙して)あの作戦の隊長になったか、
その辺のセットアップに関する情報があれば、
更に主人公になれただろう。

マックスはそこに現れたスーパーヒーローだ。
フュリオサから見れば、強力な助っ人扱いだ。
ラブストーリーをもう少し進めても良かったかも知れない。
一回ぐらいセックスしておけば子供を宿せたのに。
(セックスをするのは子種目的だけで愛情は関係ない、
とやっといて最後はちょっと愛情がわく、
みたいなキャラのほうが彼女に合ってるか)

にも関わらず、マックスが主役扱いなのは、
ジョージミラーは、主役を描くのが下手なのではないか。

マックスを主人公に描くならば、
彼の内的問題を、あのボスを倒し砦を取り戻すラストで、
解消しなければならない。
時おり現れる幻影と、別れを告げなければならない。
(シリーズをリアタイ以来見てないので記憶にないが、
きっとマックスが救えなかった人々なのだろう)
彼の後悔が、今回の件で晴れなければならない。
そのように話を持っていけなかったのは、
脚本力が足りないと思う。
(アクション台本としては完璧すぎるのに!)

シリーズを続けるつもりで幻影が見えているなら、
少なくとも今回よく出てきた幼女(娘?)の幻影が、
昇華して、幻影が一人減る、というパターンでよいではないか。

マックスという名を告げる所が彼のクライマックスになるのだから、
マックスという名だけでひどい目に会い、
この名を名乗りたくないようなセットアップにするべきだった。

第一、マックスのクライマックスはそれで良かったのだろうか?
主人公に必要な、アークがないのでよくわからない。


今回のシナリオは、
一幕:マックスのセットアップ
一幕後半から二幕前半:フュリオサ主役(セットアップ不足)
ミッドポイント:マックスが引き返すことを進言
二幕後半から三幕:フュリオサ主役
ラストの美味しいところ:マックス主役
みたいに、
マックスにとってご都合主義すぎる構成になっている。

これは、下手なシナリオだ。



惜しい。サントラ買おうかどうか迷っている。
しかし「マックスのテーマ」のような、
例えばミッションインポッシブルのような、
分かりやすいテーマがないことが、
この映画に芯がないことを如実に物語っている。

他山の石とされたい。
posted by おおおかとしひこ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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