マッドマックス批評二つ目。
この映画のテーマは何だっただろう?
(以下ネタバレ)
「当てのない所へ冒険して死ぬぐらいなら、
当てのある危険へ飛び込むべきだ」だろうか。
ミッドポイントの反転の決断こそが、
このストーリーで、最もストーリーらしい所だからだ。
(まともに台詞劇のパートだし)
残念なことは、
このテーマに基づいて、全てが組み立てられていないことにある。
良くできたストーリーというのは、
全てがこのテーマに繋がるように組み立てられているものだ。
仮にこれをこの話のテーマだとするならば、
無謀にも砂漠をまっすぐ渡った英雄の伝説があって、
その白骨死体に遭遇するとか、
160日の冒険をして79日目に決断し直すとか、
あるいはあの砦のワルたちが無謀に真っ直ぐ行って死ぬとか、
この世界の地図を示して、どこにも他の町はなかったことを示すとか、
そのようなネタがあって然るべきだ。
そしてその要素はこのバトル映画には野暮な気がする。
だからストーリーとテーマの関係が希薄になる。
つまりこの映画は、こまけえこたあいいんだよ!
がテーマ(奥底にある思想)だとも言える。
だとするとだ。
それは価値があるのか?という話になってくる。
たしかにデジタル全盛のハリウッドに対して、
アナログの手法をやりきったことは称賛に値する。
しかし、それで?となってしまう。
確かにパーツパーツは分厚く面白いが、
それが何のためにあるの?ということを引いてみてしまう。
アナログ的な人間讃歌(狂気や醜さと対比しての)に、
なってるか?ちょっとぬるい気がする。
セックスがないからかなあ。
人間的な絆とか、正義とか、秩序とか、
そういうものもないし。
大体あの世界の白塗りの奴らは性欲がないのかねえ。
あのあと暴動が起こり、それをマックスが沈めれば良かったのかねえ。
こまけえこたあいいんだよ!がテーマだとしたら、
それはあまりにどうでもいいテーマだ。
その割には物凄く計算された絵作りと完璧な編集、
完璧に作られた世界観だからだ。
もっと斧で叩き割るような、アバウトな画面で良かったのではないか?
いや、脚本段階ではアバウトなぼんやりしたレベルだったのが、
他のスタッフが頑張りすぎて、
監督のアバウトな世界観をギリギリにチューンナップし過ぎたのではないか?
車田漫画をあまりにもちゃんと作りすぎてしまったかのような。
その辺の齟齬が、
この映画のストーリー上の欠陥だ。
優れた映画は、全てのパーツが、
テーマを語るために配置されている。
そのテーマを語るサブテーマがサブプロットになっている。
この映画のサブプロットは、
ボスへの狂信を捨てる白い人と、種を植える婆さんだ。
それぞれはとても面白いが、
テーマへ何かプラスになっているかというとそうでもない。
(「狂わずに人として秩序を見いだせ」というテーマだったら、
優秀なサブプロットになっただろう)
というわけで、
砂漠の楼閣のように、積んでも積んでもテーマが積み上がらなさそうだ。
元々マッドマックスなんて、単なるヒャッハー映画だ。
そう思えば正当な続編かも知れないが。
(逆に北斗の拳は、そこに愛というテーマを持ってきた傑作だとも言えるね)
ヒャッハー映画にしては、
全ての狂気がコントロール効きすぎている。
それがこの映画の魅力であり、実は最大の欠点だと思う。
(コントロール効きすぎているがゆえに、
ストーリーというテーマを求めたくなり、
しかしこれはヒャッハー映画だ→以下ループ)
2015年07月28日
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