2015年08月01日

リライトの度に新鮮さを失う

よくある話だ。
何故、考え直したり、手を入れていくうちに、
新鮮さが失われるのか。

あなたのビビッドな気持ちや、
会話やシチュエーションの新鮮味がどんどん失われていくのは、
何故なのだろう。


それはあなたが、
「何も知らない状態で臨む訓練」をしていないからである。

新鮮かどうかは、
はじめての出会いのときに感じる感覚である。

リライトや考え直しは、
既に複数回目だ。
訓練せずに題材に触れてしまうと、
既に知っていることをいじることになる。
だから、最初にあった何かを前提とした何かをつくって、
良くなった気になってしまう。

初めて出会った新鮮さを忘れて、
どんどんダメにしていくのは、これが原因だ。


あなたはその素材に出会ったときの新鮮さを、
いつでも心に浮かび上げられるだろうか。

リライトや編集で複数回触れても、
常に初めて会った新鮮さを思い出しながら、
なおかつリライトの目的を果たせるように出来るだろうか。

これは、プロとしての一種の訓練をしないと出来ない。


意図的に雑談したり、意図的に別の仕事をしたりするのは、
頭を別チャンネルに切り替え、
また戻ってきた時に新鮮でいるための、
ひとつのテクニックだ。

コツは、他人の作った新しいものを見るとき、
ながら見や別のことを考えながら見るのではなく、
意図的にフラットな状態を作り出して見ることである。
そのフラットな状態を、いついかなる時も作れるように訓練する。
偏ったり、予断があったり、疲れていたり、
前見た作品の影響を受けていなかったりする、
フラットな状態を作れるように訓練する。

出来るようになったら、
あなたの作品もその状態で見るだけのことだ。


あるいは、二三ヶ月一切見ずに忘れてしまうというテクニックもある。
しかしフラットな状態を作る訓練をしていないと、
また二三ヶ月待たなくてはならない。


常に初見の状態に、自分の無意識を持っていけるか。
そうじゃないと、新鮮さも失うし、
フラットに見れなくなってしまう。

どうしてその素材を鮮烈に新鮮に思えたのか、
その電気が走った瞬間を、
いつでも再現できるようにしておこう。

いつでも初見状態を意図的に作り出す。
それが出来ない奴は、判断力がないことと同じだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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