2015年08月02日

お話の末、心の奥底に残るもの

それがテーマだ。

途中の場面が記憶に残ってしまうのなら、
そっちの場面の方が面白くて、
テーマが弱いということになってしまう。


理想は、フルコースの料理である。
どの料理も旨い。
同じ旨さではなく、別方向に毎回旨い。
しかも同一のシェフの計算に基づいているから、
ランダムではなくまとまりがある。
クライマックスへ近づく度にワクワクする。
それは加速する。
そしてクライマックスをたっぷり楽しんだら、
最後に一口のデザートでさっぱりし、
あとには何も残らない。
満足だけが残る。

その言葉にならない余韻こそ、
そのフルコースにしか残せないもの。


そういうものが、映画の理想だと思う。

理想形さえイメージ出来れば、
あとは実行との差を埋めていくだけだ。
立ち上がりが悪ければ直す。
徐々に面白くならなければ直す。
繋がりが悪ければ繋がりが気持ちいいように直す。
理屈がおかしければ直す。
熱いもののあとに冷たいもの、などのように刺激的にいくか、
冷たいから徐々に熱く、などのようにいくか、
どのようなコースを辿るかはあなたがつくる。
それはどう楽しむのか、はあなたがつくる。

あとに何が残るかを考えながらつくる。
たったひとつだけが残るように。
あとの全ては蒸発して、満足という余韻に昇華すること。
雑味やエグミを残してはいけない。

残るたったひとつは、
このお話に、何の意味があったのかだ。
それは、物語中に具体的な言葉としてあってはならない。
この物語を見終えたら、それはこういうことを世の中に言いたいんだろうな、
という、テーゼになるべきで、
それは観客が読み取る形であるべきだ。
簡単な例:金の亡者が滅び、人の繋がりを大事にする人が勝利すれば、
「世の中は金じゃなく人の絆だ」という意味の話になる。
この程度でいい。
難しいテーマは、観客は読み取れないからだ。
一部の人しか分からないものよりも、
大衆全てが読み取れる、本質的で強いテーマがいい。

それが伝統的なもの(例:勧善懲悪)ならば、
伝統的な他のものと比べられるし、
新しいテーマなら、新しい話だということになる。
それが皆に受け入れがたいテーマなら、その話は支持者の少ない余韻だし、
それが皆が確かにそうだと思えるテーマなら、その話は多くの人の余韻に残る。


フルコースのあとに残るもの。
全体が渾然一体となって示すもの。
全てに溶けて、全体をひとつにまとめているもの。
日本料理でいえば、出汁みたいなもの。
それがテーマだ。
料理に例えれば、その出汁は、
毎回新しいものでなければならない。


余韻や熱が冷めても、
あなたの話は何を残すだろうか。
あの話は、○○が大事だと訴えていて、
それは心に迫ったなあ、というような記憶だ。

部分が残るのは、フルコースとしては失格だ。
あのシーンはよかったとか、
あの演技やCGはよかったなんていうことは、
「他はダメだった」ということだ。
全体が渾然一体となってよかった、つまり、
部分と部分を分解できないほど上手く溶け合っていること。
シームレスなのか結節点を劇的にするかはコースによる。
そして全てがおわったあと、ひとつのまとまりとして残ったもの。

それが、あなたの話の意味である。
posted by おおおかとしひこ at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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