それがテーマだ。
途中の場面が記憶に残ってしまうのなら、
そっちの場面の方が面白くて、
テーマが弱いということになってしまう。
理想は、フルコースの料理である。
どの料理も旨い。
同じ旨さではなく、別方向に毎回旨い。
しかも同一のシェフの計算に基づいているから、
ランダムではなくまとまりがある。
クライマックスへ近づく度にワクワクする。
それは加速する。
そしてクライマックスをたっぷり楽しんだら、
最後に一口のデザートでさっぱりし、
あとには何も残らない。
満足だけが残る。
その言葉にならない余韻こそ、
そのフルコースにしか残せないもの。
そういうものが、映画の理想だと思う。
理想形さえイメージ出来れば、
あとは実行との差を埋めていくだけだ。
立ち上がりが悪ければ直す。
徐々に面白くならなければ直す。
繋がりが悪ければ繋がりが気持ちいいように直す。
理屈がおかしければ直す。
熱いもののあとに冷たいもの、などのように刺激的にいくか、
冷たいから徐々に熱く、などのようにいくか、
どのようなコースを辿るかはあなたがつくる。
それはどう楽しむのか、はあなたがつくる。
あとに何が残るかを考えながらつくる。
たったひとつだけが残るように。
あとの全ては蒸発して、満足という余韻に昇華すること。
雑味やエグミを残してはいけない。
残るたったひとつは、
このお話に、何の意味があったのかだ。
それは、物語中に具体的な言葉としてあってはならない。
この物語を見終えたら、それはこういうことを世の中に言いたいんだろうな、
という、テーゼになるべきで、
それは観客が読み取る形であるべきだ。
簡単な例:金の亡者が滅び、人の繋がりを大事にする人が勝利すれば、
「世の中は金じゃなく人の絆だ」という意味の話になる。
この程度でいい。
難しいテーマは、観客は読み取れないからだ。
一部の人しか分からないものよりも、
大衆全てが読み取れる、本質的で強いテーマがいい。
それが伝統的なもの(例:勧善懲悪)ならば、
伝統的な他のものと比べられるし、
新しいテーマなら、新しい話だということになる。
それが皆に受け入れがたいテーマなら、その話は支持者の少ない余韻だし、
それが皆が確かにそうだと思えるテーマなら、その話は多くの人の余韻に残る。
フルコースのあとに残るもの。
全体が渾然一体となって示すもの。
全てに溶けて、全体をひとつにまとめているもの。
日本料理でいえば、出汁みたいなもの。
それがテーマだ。
料理に例えれば、その出汁は、
毎回新しいものでなければならない。
余韻や熱が冷めても、
あなたの話は何を残すだろうか。
あの話は、○○が大事だと訴えていて、
それは心に迫ったなあ、というような記憶だ。
部分が残るのは、フルコースとしては失格だ。
あのシーンはよかったとか、
あの演技やCGはよかったなんていうことは、
「他はダメだった」ということだ。
全体が渾然一体となってよかった、つまり、
部分と部分を分解できないほど上手く溶け合っていること。
シームレスなのか結節点を劇的にするかはコースによる。
そして全てがおわったあと、ひとつのまとまりとして残ったもの。
それが、あなたの話の意味である。
2015年08月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック