お話には常に三つの矢がいる。
何故それをしなければいけないか、という焦点(理屈)、
主人公がそれに対して思う感情、
観客が思う感情、
の三つだ。
これらが常に同居することを忘れてはならない。
理屈に関しては、これまで詳しく書いてきている。
事態の進展やターニングポイント、
メインプロットやサブプロットは、これだ。
全ては、「○○しなければならない」という焦点の集合で示せる。
そしてそれは理屈であるから、
誰にとっても当たり前で自明でなければならない。
その理屈がおかしかったり
(○○じゃなくて△△したほうがいいんじゃね?とか、
○○しなきゃならない理由がわからない、とかは、下手な脚本)、
その理屈が分かりにくかったり
(犯人は○○だ、何故なら、のあとの理屈があやふやなど)、
その理屈が一方的で独りよがりだったりするのは、
詰まらない話だ。
誰にでも明らかに、分かりやすく、
こういう理屈でこうしなければならない、
という理由で、お話は進行する。
解決とは、困った問題が、理屈的にスッキリすることだ。
論理的解決がスパーンといったとき、気持ちいい。
同時に、主人公は人間であるから、
目の前の出来事に感情を持つ。
困ったことだ、辛い、楽しい、うれしい、最高!
ドキドキ、不安、などである。
それは、人間として自然な感情であるべきだ。
あるいは、その人として自然な感情であるべきだ。
崖からぶら下がったら、
普通の人なら、死ぬ!と必死に上ろうとするだろう。
自殺願望がある人なら、体から溢れる上ろうとする衝動と、
飛び降りれば楽になると考える頭との、葛藤が起こるだろう。
感情は、リアクションとして三人称では表現される。
何かが起こったときにどう反応するか、
何を言ったりするかで決まる。
好きな人からプレゼントされたとき、
高価なもので喜ぶのは当然の反応だが、
高価だけれど欲しかったものでないとき、
正直に言えば、感謝の気持ちを伝えつつ、分かってもらえてない不満という感情だ。
正直に言わないなら、表面的に合わせて感情をため込むことになる。
このように、リアクションで、その人の感情を表現するのが三人称だ。
具体的には、設定をした上で「石を投げる」。
何かを投げかければ反応するからである。
(主人公の気持ちをきちんと汲んでいるかを試すため、
俳優にも、脚本家にも、石を投げるメソッドがある。
電車に間に合わなかったとしたら?
目の前で財布を忘れた人を見たら?
こじきを前にしたら?
質問はなんでもいい。フラットな場面で聞けば性格判断だけど、
違う場面では文脈によってリアクションが異なるかも知れない。
「普段ならこうするが、今ならこうする」は、
格好の、感情による行動の揺れである。
的確な質問と的確な場面を選ぶ、質問力が要求されるが、
自分自身にしてみるか、脚本仲間同士してみるとよい)
三番目は、観客の感情だ。
理屈と感情で主人公の物語は進むが、
観客の感情は別にいる。
詰まらない映画は特にだ。
どんな理屈だろうが、どんな主人公の感情だろうが、
「どうでもいい。早く帰りたい」「飯なににしようかな」
「隣のおっさんうぜえ」「明日の仕事の準備しなくちゃ」
などの感情がうずまくものだ。
どんな映画でも、
最初の観客の感情は、「これから面白いものを見るぞ」から、
「これ本当に面白いんだろうな?」まで、
様々な幅がある。
そして集中力の違いにもよるが、
「あの服かわいい」「ツカミがいまいち」「音楽だせえ」
「この俳優も老けたなあ」「トイレ行っとけば良かった」
などのどうでもいい感情を、バラバラに持つものである。
それが、開始10分から15分くらいで、
静かになってゆく。
何故か。
主人公を取り巻く焦点(理屈、事件)と、
主人公の感情に、
興味を持ったからである。
そこから、主人公の感情と完全に一致して行く過程が、
映画だ。
時に観客の感情は、主人公と異なることがある。
観客だけが知り得る情報があって、主人公がまだそれを知り得てないとき。
(クローゼットの中に殺人犯が隠れている!とか、
妻は浮気してるのに、夫悲しい!とかだ。
これを劇的アイロニーという)
逆に、主人公だけが知っていて、観客に伏せられているとき。
(大抵他の人物も知らない。「何でそんな余裕なんだ?」「本番を楽しみにしてな」
「そうか!そういうことだったのか!」という展開になる。
あるいは、解説なしだとしても、
スムーズに観客がなるほどと思えばいい。「ボーンアイデンティティー」は、それの上手な傑作だ)
主人公も観客もどんでん返しに同時に驚くこともあるし(シックスセンス)、
主人公は気づかず観客だけがどんでん返しに驚いていることもある(アザース)。
僕は最後まで主人公と感情をともにする、
ベッタベタの感情移入型が好きだけれど、
最後に感情移入を突き放すパターンもある。
(悲劇はこのパターンが多いよね)
お話の中には三本の矢が常に飛んでいる。
焦点という理屈。
主人公の感情。
観客の感情。
これらをスムーズに、時に大胆に変化させてゆく軌跡が、
物語という交響曲だ。
下手な人は、理屈が通ってなかったり、
主人公の感情が嘘臭かったりする。
そして下手な人は、観客の感情を忘れておいてけぼりにしがちだ。
第一稿では出来ていたことが、
改稿するうちになくなってしまうこともよくある。
(観客の感情は、最もよくおいてけぼりになる。
表現者の都合が優先になりがちだ)
この三本の矢を意識しながら、
あなたは書き続けなければならない。
(そして脇の人物のサブプロットや感情についても同様で、
正確には十本ぐらいの矢が飛ぶ)
2015年08月04日
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