2015年08月04日

「見たい!」と「その先を知りたい!」は違う

このブログを読んでる人はよくわかってるかも知れないが、
この二つを区別するべきだ。

「見たい!」は、点を見たい願望。
写真やデザインや造型だ。
見たらそれで終了。一瞬だ。
「その先を知りたい!」は、線を見たい願望。
ストーリーの展開や結末のことだ。
最後まで見ないと分からない。

厄介なのは、後者も「見たい!」というワードを使われて、
両者が混同されやすいことである。
だからこそ、自覚的に分けよう。


あられもない姿、秘密の暴露されたもの、
普段は見せないがこんなもの、
誰も見たことがない凄いもの。
これらは点である。
写真じゃなくて映像の場合もあるが、
それは「ひとつのもの」を示しているという点で、点である。

点は見世物だ。
見たいでしょ?見たい!じゃん!
というものだ。

見たらその凄さに驚嘆したり、
爆笑したり、涙を流すかも知れないが、
それで終わりだ。
点と感情は一対一対応している。
(泣ける動画、笑える画像、意味がわかったら怖いコピペ、
などは全部そうだ)

その感情を記憶に留めるだろうが、
それだけだ。
だからコレクションをはじめる。
○○な動画集、なんてすぐに作れる。
点の感情でタグづけすれば、Googleエンジンでも集められる。


線はちがう。
「この先を楽しみにする」という楽しみだ。
これまでの流れがあり、
この先を予測し、
実際に起こることに興奮させられる楽しみである。

それは一言の感情に対応しない。
様々な感情が刺激され、変化し、
それは流れとなるからである。
その奔流が太いほど、速いほど、すごい流れだと言われるだろう。

だから点では表現できない。
セカチューあたりから「泣ける映画」とか言い出して、
線のものを点で理解するバカが増えた。
じゃあ子猫が死ぬ2分の動画でも繰り返し見てろや。

物語は、線だからこそ面白い。
ある感情を刺激されたと思ったら、
また別の感情を刺激され、考えさせられたり、
自分の人生と比較したり、
自分がその立場だったらどうするだろうと、
考えたりするから面白い。
それは、二時間ならば二時間の、思考や感情の奔流なのである。

景色がきれい、音楽がすてき、
服がかわいい、光線がいい、俳優が美男美女、
それらは、映画における点の面白さに過ぎない。

あなたは、「見たい!」と思う話を作るべきではない。
「その先を知りたい!」と思う話を作るべきだ。

前者が得意なら、ユーチューバー(いまさら)が向いてるのではないだろうか。


まあ、後者でも「見たい!」という言葉で混同する素人が多いので、
両者を区別していないことすらある。
あなたは、区別し、使い分けるべきだし、
相手がどっちのことを言っているか読み取るべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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