このブログを読んでる人はよくわかってるかも知れないが、
この二つを区別するべきだ。
「見たい!」は、点を見たい願望。
写真やデザインや造型だ。
見たらそれで終了。一瞬だ。
「その先を知りたい!」は、線を見たい願望。
ストーリーの展開や結末のことだ。
最後まで見ないと分からない。
厄介なのは、後者も「見たい!」というワードを使われて、
両者が混同されやすいことである。
だからこそ、自覚的に分けよう。
あられもない姿、秘密の暴露されたもの、
普段は見せないがこんなもの、
誰も見たことがない凄いもの。
これらは点である。
写真じゃなくて映像の場合もあるが、
それは「ひとつのもの」を示しているという点で、点である。
点は見世物だ。
見たいでしょ?見たい!じゃん!
というものだ。
見たらその凄さに驚嘆したり、
爆笑したり、涙を流すかも知れないが、
それで終わりだ。
点と感情は一対一対応している。
(泣ける動画、笑える画像、意味がわかったら怖いコピペ、
などは全部そうだ)
その感情を記憶に留めるだろうが、
それだけだ。
だからコレクションをはじめる。
○○な動画集、なんてすぐに作れる。
点の感情でタグづけすれば、Googleエンジンでも集められる。
線はちがう。
「この先を楽しみにする」という楽しみだ。
これまでの流れがあり、
この先を予測し、
実際に起こることに興奮させられる楽しみである。
それは一言の感情に対応しない。
様々な感情が刺激され、変化し、
それは流れとなるからである。
その奔流が太いほど、速いほど、すごい流れだと言われるだろう。
だから点では表現できない。
セカチューあたりから「泣ける映画」とか言い出して、
線のものを点で理解するバカが増えた。
じゃあ子猫が死ぬ2分の動画でも繰り返し見てろや。
物語は、線だからこそ面白い。
ある感情を刺激されたと思ったら、
また別の感情を刺激され、考えさせられたり、
自分の人生と比較したり、
自分がその立場だったらどうするだろうと、
考えたりするから面白い。
それは、二時間ならば二時間の、思考や感情の奔流なのである。
景色がきれい、音楽がすてき、
服がかわいい、光線がいい、俳優が美男美女、
それらは、映画における点の面白さに過ぎない。
あなたは、「見たい!」と思う話を作るべきではない。
「その先を知りたい!」と思う話を作るべきだ。
前者が得意なら、ユーチューバー(いまさら)が向いてるのではないだろうか。
まあ、後者でも「見たい!」という言葉で混同する素人が多いので、
両者を区別していないことすらある。
あなたは、区別し、使い分けるべきだし、
相手がどっちのことを言っているか読み取るべきだ。
2015年08月04日
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