まさか、
大量に調べものをしてから、
その中から新しいものがポンと生まれると思ってないだろうか?
逆だ。
発想が先だ。
調べものは、大胆な発想の裏付けのためにやる。
調べものは、現実ではどうかを知るためにやる。
しかし、どれだけ現実を集めても、
そこから生まれるのは現実の範囲内の発想だ。
交通ルールを沢山調べて、
グランドセフトオートを発想するだろうか?
法規の範囲内でやる交通ゲームしか思いつかないだろう。
どれだけ法律違反があるかを調べる、
あとづけとして交通ルールを調べておく程度だろう。
発想が先だ。
こんなことがあったら面白いぞ、が先に思いつくべきだ。
これは世界を変えるアイデアだ、
を先に思いつくべきだ。
発想が先にあれば、
調べものをするときに、
その発想になかった考え方を補える。
現実には様々な考え方があり、
それらが矛盾なく進行している秩序を見て、
突飛な発想はないことを知ることができる。
自分の発想が突飛でなく、現実の世界に埋もれるレベルならば、
それはアイデアでもなんでもない。
平凡な考え方に過ぎない。
もしその世界で誰も考えていない発想だとしたら、
それは革命的に面白い話になる可能性がある。
調べものは、そのためにやる。
先人が考えた多くのことと、
距離感を測るためにやる。
その上で、現実と発想の間の架け橋をつくる。
どこからどこまでフィクションか分からないようにだ。
調べものは、そのためにやる。
現実にはこうだけれど、この発想を生かすには現実をこうねじ曲げればいい、
と分かるためにやる。
調べものを大量にしても、新しい発想は生まれない。
せいぜいそれが圧縮整理されるだけだ。
アイデアはその世界の外からやってくる。
「ぶっ飛んだ」アイデアは、その世界の常識にないことの中にある。
調べものをしてからアイデアを出すには、
調べものをして一端忘れて、あなたの中でなにか別のものと組み合わせて、
スパークさせるまでの、かなりの時間が必要だ。
調べものから発想することは、
それの何かを真似して、自分がアイデアを出したような気になるだけの、
小さな奴のやり方だ。
普通はそれをパクりという。
発想が先。調べものはあと。
高橋陽一がサッカーを知っていたら、「キャプテン翼」はなかった。
車田正美がボクシングを知っていたら、「リングにかけろ」はなかった。
手塚治虫が医学に明るかったら、「ブラックジャック」はなかった。
(手塚の医師免許は外科医のそれではない。だから作中の医学描写はたびたび間違えているという。
それを指摘された手塚は、「たかが漫画ではないか」と開き直った。
それよりも作中の人間ドラマこそが大事だと言うことだ)
勿論、ある程度の常識は編集者が調べてくれたかもしれない。
物凄い違うこと以外は指摘しなかったからこそ、
自由な発想が生まれたのだろう。
自由な発想が先だ。
調べものを先にしても、檻をつくるだけだ。
2015年08月06日
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へえ、知らなかった。
ウォシャウスキー版ではなく、オリジナルタツノコってことですよね。
でも先行に「チキチキマシーン猛レース」の下敷きがあったんじゃないかなあ、と思います。
全体にレースブームではあったしねえ。007とかスパイものの影響もデカイよね。
元を辿ると「ベン・ハー」の戦車シーンにたどり着くのかなあ。
その辺は世代じゃないので影響関係は推測ですが。
リアタイ(再放送?)で子供の頃見た以来なので、物語については全くの記憶の外。
きっと特命捜査官の話で、何故か車(チェイス)が絡むようになっているのでしょう。
プライベートがレーサーの、ナイトライダーみたいな話と想像。
荒唐無稽は、重要です。
現実が足枷になってはいけません。
俺だってリアル忍者を知らないぜ!
(少年忍者入門の知識が、手裏剣という言い方や、
指に唾つけて風向きを知る場面や、布で隠れる場面を生んだのだ!)
チキチキマシーン猛レースより、
マッハGoGoGoが先でした。
ちゃんと調べろ、といういい見本になってしまいました。とほほ。