2015年08月07日

悩みも変化する

まさか主人公の内的葛藤が、
ずっとひとつだと思ってやしないだろうか。


世界は変化し続けている。
引きこもりはその変化の拒否だろう。
部屋にこもろうがこもるまいが、
人生は夢幻の如くであり、
生成流転であり、
祇園精舎の鐘の声だ。


状況は刻々と変化する。
物語の中で扱う事件が大きければ大きいほどだ。
物語とは、それに対してアドリブで解決する様を描くものだ。
決して計画的にいかず、
固定した処理過程を踏まないものが、
物語の中で扱う事件である。
だからこそ、次にどうなるか読めない。
読めないからこそ、物語だ。

こんな状況下で、悩みが固定している訳がない。
それは、状況に置いていかれてしまう。
悩みを一端心の奥底に置いといて、
目の前の事件解決をしないと、
状況は刻々と悪化するのだ(危険)。
悩みはひとつではない。
赤のコードを切るべきか青のコードを切るべきかがカットインすることもある。
あの子の心変わりにまた悩まなければならない。
悩みは状況に応じて刻々と変わる。

そして、元々もっていた悩みが、それらに影響を受ける。

映画は外面的ストーリーを写しながら、
同時に内面のストーリーをも分かるようにする、
高度な三人称形式の物語だ。

外面的影響によって、
主人公の内面的悩みが影響を受け、
変化することも、
内面を描かず、外面的要素(行動、台詞、リアクション)で、
描くものだ。

いやあ難しいね。


悩みが変化しないのは、
引きこもりだけだ。
すなわち、外界と交渉を絶ち、世界に参加していないやつだ。
それは主人公ではない。
主人公は、刻々と悪化する状況の一番中心にいるからである。

だから悩みは変化する。影響を受ける。
だから悩みが解決へ向かうのだ。


悩む。悩む。悩む。
時が来て突然解決する。
それは映画ではない。

悩む。悩みが影響を受け変わる。
悩みが更に次のバージョンに更新される。
そのせいで、解決へ向かう。
それが映画だ。
posted by おおおかとしひこ at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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