2015年08月07日

待たない

つまりこれらから言えることは、
待っていては映画にならないということ。


主人公に待つという選択肢はない。
行動あるのみだ。
(オッサンベテランなら、待つという戦術も時々あるけど)

悩みの解決までただ待つ主人公を書くバカがいる。
キャシャーン、ガッチャマン、Re:サイボーグ009、CG版ハーロック、
お前らだ。

待つ主人公は、主人公ではない。

だとしたら、この映画は待つ映画である、
と最初に宣言するべきだ。
どれも大冒険を描くべき題材なのに、
実質待っている映画だから、
僕は糞よばわりするのである。

あ、多分ペプシ桃太郎もね。


待つな。
それは変化ではない。
引きこもりである。

引きこもりが自分を書くから、
待つことしか出来ないのだ。

ガン待ちガイルは、映画ではない。



内面をさらせ。本音を吐露しろ。
それが通用せずに傷つけ。
七転八倒して何度も失敗し、
それでも何かのために立ち上がれ。
涙と血と汗と、全ての体液を流して、
満身創痍の中から立ち上がれ。
そして成功をつかめ。
それが映画だ。
posted by おおおかとしひこ at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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