つまりこれらから言えることは、
待っていては映画にならないということ。
主人公に待つという選択肢はない。
行動あるのみだ。
(オッサンベテランなら、待つという戦術も時々あるけど)
悩みの解決までただ待つ主人公を書くバカがいる。
キャシャーン、ガッチャマン、Re:サイボーグ009、CG版ハーロック、
お前らだ。
待つ主人公は、主人公ではない。
だとしたら、この映画は待つ映画である、
と最初に宣言するべきだ。
どれも大冒険を描くべき題材なのに、
実質待っている映画だから、
僕は糞よばわりするのである。
あ、多分ペプシ桃太郎もね。
待つな。
それは変化ではない。
引きこもりである。
引きこもりが自分を書くから、
待つことしか出来ないのだ。
ガン待ちガイルは、映画ではない。
内面をさらせ。本音を吐露しろ。
それが通用せずに傷つけ。
七転八倒して何度も失敗し、
それでも何かのために立ち上がれ。
涙と血と汗と、全ての体液を流して、
満身創痍の中から立ち上がれ。
そして成功をつかめ。
それが映画だ。
2015年08月07日
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