2015年08月09日

やりたいことや言いたいこととは、「あなたの」ではない

もっとやりたいことをハッキリさせろ、とか、
言いたいことを整理してから、とか、
言いたいことが伝わってこない、などは、
よく初心者にアドバイスされる言葉だ。

僕はこのアドバイスは間違っていると思う。
こんなこと言われたら、
出来の悪い初心者ほど、
悪目立ちをすることしか、出来ないからだ。


この手のアドバイスは、作者を主語にしている。
それは間違いである。

物語の中には、主役と、沢山の登場人物と、
背景と事件と解決過程と挿入エピソードしかない。
この中に作者がいてはいけないのは明白だ。

もっと言いたいことを強く、
なんて言われたら、
せっかく出来上がった三人称世界に、
一人称を上塗りしなければならなくなる。
どこかで演説させて作者の言いたいことを代弁する、
詰まらないシナリオになってしまう。

作者に言いたいことややりたいことはあるけれど、
それと出来上がった物語は別だ。
そういう下手なアドバイスをする奴は、
こんな基本的なことすら知らない、
批評として二流だと思った方がいい。

まあ、そもそも出来の悪いものに、
一流の批評をしてやる必要もないのだけど。


こういう批評が出たら、
作者の言いたいことを詰め込むのではなく、
主人公の目的や事情をハッキリさせて、
それに感情移入出来るようにすべきである。

勿論主人公だけでなく、他の登場人物についてもだ。
出来れば全ての登場人物について、
その目的や事情が分かるようにして、
これからする行動が当然のように思い、
その結果に一喜一憂して、
その人物の感情と観客の感情が一致するように描くべきだ。

もしそれが作者的に「出来ている」と主張するのなら、
あなたは滑っている。
つまり、自分の感覚と、観客の感覚がだいぶ違う。
自分の感覚が、まだ観客目線になっていない証拠だ。
「いまいちだがどうすればいいか分からない」なら、改善の余地はある。
事情を改造する、
事情の説明を改造する、
感情をより深刻に、より本気に、より切羽詰まって、
激しくしていけばいい。

説明すればその感情になる、と誤解しているから三流どまりなのだ。
その感情になるには、その感情になるだけの事情がなければならない。
その事情をきちんと作ることが本当は必要な改造だ。


作者の言いたいことを強化したって、
そういう面白い話にはならない。
だからこのアドバイスは間違っている。
そのアドバイス通りにやったって、
ドローン少年みたいな、歪んだ自己主張を聞かされるだけの、
詰まらない話になってしまうだろう。

言いたいことややりたいことは平凡でいい。
奇特である必要はない。
なのに、感情が震えて震えてしょうがないものを作るべきだ。

たとえばドローン少年みたいな奇特な主張をするよりも、
「お年寄りは大事にしよう」というごく平凡なテーマで、
号泣できる話が書けるほうが、
脚本家として才能があるのだ。
タイトルは忘れたけど、のび太が死んだおばあちゃんに会う話は、
号泣ものだぜ。
あの話に言いたいことややりたいことはないよ。
それよりも、感情が震えて震えてしょうがないように、
作ってあるのだよ。


「言いたいこと」や「やりたいこと」は、
物語の中に沢山ある。
それは「作者の」ではなく、「登場人物の」だ。
その主語を混同すると、あなたは迷路に入る。




毎年8/9は風魔が好きだった人の命日で、
一人上映会をすることにしている。
ドラマ版を知人に貸したままなので、
今年は舞台版を当時以来見た。二度目だ。

詰まらない理由は分かった。
言いたいことややりたいことが分からないのだ。
作者(脚本監督)の、ではなく、
登場人物の、が。
主人公小次郎の動機が分からない。
「俺にも奴の妹の声が聞こえたような気がしてな」
の台詞で終わるこの一連の話に、
なんの意味があったのかまるで分からない。
(ドラマ版ならば、絆とか、人の心に暖かい風を吹かせる、
という意味が物語から感じられた)

一応、動機が分かる人物もいる。
武蔵とか。
でもそれに感情移入は出来ない。
化け物と呼ばれて排斥された過去がないと、
薄っぺらい説明になるんだろうね。


舞台版は脚本に一ヶ月かけていないという。
その準備期間で、俺たちが三ヶ月以上かけて練り上げた物語を、
脱構築出来るわけないやんけ。
そういう意味でも演出家はこなし仕事にしかならなかったんだろうなあ、
と少し同情。
俺がやれば良かったという声もネットでちらほら聞くけど、
あの直後だと思い入れが強すぎて、
三時間以上の舞台になっちゃったと思うよ。
今なら出来るかなあとふと考えて、
人数絞ることと、
キャラソンコンサートではなくミュージカルとしての曲、
つまり劇の感情を歌にできるならば、
可能かも知れない。

ミュージカルと発表された時の2ちゃんスレッドで、
「壬生が、俺を人数に入れてないな〜、とか歌うのか」という書き込みがあった。
大いに笑ったが、これが真実を突いている。
壬生の最も強い感情と動機はこれだから、
「甘く凍りつく刃から堕ちる見いられた闇へ」なんてカッコつけた詞ではなく、
「俺を認めろ」というストレートな詞でなければならないと思う。

歌とか殺陣とか、よく分からない事が多すぎて、
ちょっと自信はないけどね。

ん?まさか風魔2は、舞台版ならば可能なのか?



登場人物には言いたい事がある。
やりたいことがある。
その事情にシンクロして、
その行動の経過や結末に一喜一憂するのが、
三人称形の物語だ。
posted by おおおかとしひこ at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック