古文にあっただろう。
係り結びというやつだ。
何かを前振るのならば、結ばなくてはならない。
伏線と解消の関係、
と一般には認識されるが、
もっと細かいレベルのことも含む。
長いものを書いていると、
係り結びを見失うことが多い。
第一稿ならそうでもないけど、
リライトしているうちに、
ぶつぶつに切れた係り結びの切れ端が残ってしまうことは、
まれによくある。
何が何と係り結びであったかは、
一から丁寧に見直していくしかない。
あれとあれが係り結びのつもりだった、
という記憶も同時に思い出さなければならない。
リライトを重ねれば重ねるほど、
そういう細かいチェックが行き届かなくなることが多い。
係りのない結びは、単に唐突になるし、
結びの失われた係りは、
意味ありげな振りでしかなく、物語になんの寄与もしない。
だからリライトで取り除くべきである。
舞台版風魔の脚本に、その齟齬を見つけることが出来る。
たとえば麗羅妖水戦。
「あ!わかった!」という台詞。
これは切るべきだ。
何故なら、分かった内容とは、
ドラマ版で描かれた妖水攻略法、
「ヨーヨーは手元に戻るから、ヨーヨーに火をつければいい」だからだ。
「分かった!」が係りで、攻略法が結びだ。
舞台版ではCGが使えないせいか、
いきなり朱麗炎をぶちかまして倒していた。
じゃあ、結びもないから、係りも外すべきなのだ。
麗羅が何を分かったのか、舞台版では示されない。
麗羅「僕に任せてよ!朱麗炎!」
妖水「うぎゃあああ」
だけでいいはずだ。
(僕的には拘りのリアクション、車田三下特有の
「げえっ!?」を使ってほしかったところだが)
問題は、係り結びの齟齬よりも大きい。
内容がスカスカだと言うことだ。
スカスカな中身を、麗羅のかわいこちゃんキャラで誤魔化すために、
「あ!わかった!」という台詞を使っているのである。
意図的にせよ結果的にせよだ。
分かってやってれば姑息だし、
分かっていなければ無能だ。
つまり、この台詞が残っていること自体、
舞台版の脚本の完成度が恐ろしく低いことを物語るのである。
ドラマ風魔は何が評価されたか、
舞台版の脚本家は分かっていない。
キャラだと思っていたのか?
キャラソンだと思っていたのか?
殺陣やCGか?
原作通りの殺伐とした殺し合いか?
俳優人気か?
脚本だろ?台詞やストーリーやキャラの掘り下げだろ?
原作にあったかのように錯覚するほどの、
補完が完璧なストーリーだろう?
別にドラマ版の台詞をそのまま持ってこなくていい。
その場で麗羅のかわいこちゃん台詞を書けば良かったのに。
脚本家にそれを書く能力がないことを、
この係り結びの不備が物語っている。
リライト時には特に気を付けよう。
「映画には、出てきたものは必ずあとで使われる」
という格言もあるぐらいだ。
あとで使われないなら、切る。
切らないなら、あとで使う。
切ってスカスカになるなら、新しく作り直す。
地味だけどそれをちゃんとしないと、
ぐちゃぐちゃで詰まらないスカスカの話になる。
そう。舞台版の風魔のようにだ。
2015年08月10日
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