2015年08月14日

誤解しやすい言葉「○○を描く」

たとえば「友情を描く物語」は、
どういう感じか。


俺たち仲いいな、ウフフ。
これあげる、ありがとう。お返しだ。
お前を信じるよ。ありがとう。

こういうことを延々と、
例えば最初から最後までやることではない。
物語とは変化だ。
友情という距離関係が変化しなければ、
描いたことにならない。

上の例は、友情という点を描写しただけである。
描くという言葉を使わずに言うと、
友情溢れた場面がひとつあるだけだ。

物語とは変化である。
友情が近くなったり遠くなったり、
消滅したり生成しなければならない。


たとえば、
最初友情と思われる関係だったのだが、
民族が違うことにより、民族同士の戦争に巻き込まれ、
民族が違うが友情を大切にして、
そいつを戦場で殺すべきかどうか、
という場面が現れるような物語のことを、
友情を描く物語というのだ。

その男はどういう決断をするかで、
民族よりも友情が大事なのか、
友情よりも民族が大事なのかを結論づけられる。
(友情の大事さを描くのなら、前者だろう)

ちなみにこれは、「ベン・ハー」という物語である。
名匠ウィリアムワイラーの最高傑作のうちの一本だ。

これは単純な二者択一型の物語でテーマを示す例だ。
他にも線で何かを描くやり方はあるだろう。
(今ちょっと思いつかない。
不在で何かを描く例もある。桐島とか、ゴドーを待ちながらとか)



○○を描きたいなら、それを直接描いても、点に過ぎない。
その連続的変化のストーリーをつくって、
はじめて○○を描いたことになる。
しかも「○○を描く」という場合、
○○に対してポジティブな結論になる場合が殆どだから、
最終的には○○が素晴らしいことを暗示しなければならない。


○○を描こう、と思う場合、
○○という点をただ描きたいのか?
だったらそのシーンで○○を見せればよい。
その代わり次のシーンでは○○以外のものを見せなければならない。
何故なら飽きるからだ。
ストーリーとは変化のことであり、
同じことの繰り返しはストーリーにとっての死だからである。

○○が素晴らしいというテーマを描くのか?
だとしたら、○○に関する変化をストーリーラインとして作らなければならない。
そしてラストシーンは、○○が素晴らしいということを、
○○というワードを使わずに、
暗示できている必要がある。


変化できないものは、だから映画には描けない。

「山を描く」ことは、山のカットを何カットも写すことではない。
山が誕生して爆発して死ぬまでを描かなければならない。
そしてそんなものは劇映画にならないので、
山を描くことは映画にはできない。

(山岳救助ものは山を描くか?
山で起こるいろんなことがモチーフになるだけで、
テーマは自然への畏敬とか、己のバカさとかの筈である)



「○○を描く」。
初心者はそれをモチーフのことだと勘違いする。
わかってる人はテーマのことだと考える。

初心者のうちは、「○○を描く」という言葉を使わずに、
ものを考えた方がいいかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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