2015年08月14日

「○と△を対比的に描く」も同様

前記事の続き。

○と△を対比的に描いて、一体何を描いたことになる?


善と悪を対比的に描く。
男と女を対比的に描く。
積極的な人と消極的な人を対比的に描く。
アメリカ人とイギリス人を対比的に描く。
生と死を対比的に描く。

これで一体何を描いたことになる?

精々、「人間には色々いる、様々な面がある」
しか言えないのではないか?
そんなこと、分かっとるわ。

対比的に描いたことに、自己満足してる奴だけが、
○と△を対比的に描いた、
なんて言うだけだ。

人生の明と暗が対比的に描かれているとする。
○をした人間が明に、
△をした人間が暗になったとしたら、
それは人生は△ではなく○だということを描いている。
明と暗を対比的に描いているのではない。

傑作「ポセイドンアドベンチャー」では、
ここに留まり助けを待とうとする神父と、
自ら脱出しようとする牧師が対比的に描かれる。
神父に盲目的に従った多くの羊たちは、鉄砲水であっという間に死ぬ。
脱出しようとする意志を持った者だけがそれを避けた。
これで描いていることは、
生と死の対比ではなく、
神父と牧師の宗派の対比でもなく、
「天は自ら助くる者を助く」ということである。
(神父と牧師が逆かも。
どっちかがカトリックでどっちかがプロテスタント)



○と△を対比的に描く、
なんて言うやつは、だからバカだ。
脚本の素人であるから、言うことを聞く必要はない。
posted by おおおかとしひこ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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