2015年08月15日

「一言でいうと○○」を誤解しない

脚本論に触れた初心者は、
ログラインとか「一言でいうと○○」とかに弱い。
そうか!一見複雑に見えた脚本というものは、
そうだったのか!と目から鱗だ。

しかし実際のところ、これを上手くすぐ使える訳ではないのだ。
初心者によくある誤解シリーズ。


例えば僕は、
「映画とはひとつの動詞で表せる」などという。
それを誤解して鵜呑みにすると、
こういうことになる。

例えば「闘う」という動詞になったとしよう。
そうすると、
初心者は、長い話のなかで、
主人公がなにもせず、最後に一回だけ闘う話を書いてしまう。

これは「落下する夕方テンプレ」と僕か呼ぶ、
最もダメなパターンのひとつである。

主人公は行動しまくる。

大きな敵に闘いを挑んだり、
計画を練ったり、練習したり、
仲間を集めたり、批判されたりしたり、
喧嘩したり仲直りしたり、
勝ったり負けたり、相討ちになったり、
リスクリターンが合わない賭けに出たり、
安全パイがひっくり返されて慌てたり、
最終決戦への名案を思いついたりする。

「複雑なそれを一言でいうと、【闘う】に凝縮される」
というだけのことなのだ。

一言にまとめた話の具体は、
決して一言で終わる話ではない。
語れば二時間かかる話だ。
一言にまとめたのは、まとめただけなのだ。

なのに、初心者は、
一回しか闘わず、あとはオロオロしたり苦悩しているだけの、
ちんけな主人公を書いてしまう。
糞進撃の糞エレン、お前だ。


一言にまとめることが何故脚本の役に立つかというと、
書く人間の混乱を避けるためなのだ。

たとえば、
「恋愛する」という要素が余計かどうかを、
「冷静に」判断するとき、
「闘う」に纏めた話に必要かを、
冷静に考えるといいだろう。

多くのバトル系映画で、
恋愛要素イラネという批判は、
「闘う」に纏まるべき主筋に対して、「恋愛する」が不要だ、
と言っているのである。

愛する人のために闘う動機ならば、恋愛要素は「闘う」の一部だから、
それは物語として正しい。
愛する人が殺された復讐、愛する人が最大の敵、
愛する人を捨てることが条件(原作あずみの冒頭)、
などなど、バリエーションはいくつもあるだろう。

ところが、闘うことに恋愛要素が直接関係なく、
バラバラに存在する、または関係が薄いのなら、
この話は「闘う」話なのか「恋愛する」話なのかを問い、
「闘う」話であるのなら、
関係の薄い恋愛要素を捨てるか、もっと濃く絡めるかしかないのだ。

成功例はドラマ風魔に見ることが出来る。
姫子の存在は小次郎の存在意義であり、
闘う理由だ。
(10話の予告時と、放映後の視聴者の手のひら返しが、
大変僕には心地よかった)

失敗例は実写糞進撃に見ることが出来る。
エレンの闘う理由が、恋人の復讐と設定したくせに、
恋人は生きていたのだから、その後闘う理由がなくなってしまう。
にも関わらず闘う理由は、生き残ることだろうか。
つまり、もしこれが「闘う」話だとしたら、
恋愛要素は不要か、もっと絡めるべきだ。
生き残る為に闘うことは当たり前すぎる理由で、
普通はプラス1したものが「闘う理由」になる。
中盤の恋人生きてた判明で、闘う理由が喪失した、
大変下手な脚本である。
初心者レベルだ。



一言でいうと○○、と纏めることは、
このように、全体が合ってるのか、という検証のときに威力を発揮する。
ちなみに糞進撃は、○○の中には能動動詞が入らなさそうだ。
襲われる話、と受動態になる。
だからエレンはなにもせず、うじうじしているだけの退屈だ。


一言でいうと○○、と自分の話を捉えるのは、
あなたの心を整理することにしか使えず、
観客のためには使えない。
観客は、右往左往脱線転覆どんでん返す文脈と、
七転八倒しながら積極的に何かを仕掛けまくる主人公に、
夢中になっているだけである。
それを期待してるのに、
ひとつしか何かをしない主人公は、
糞だ。

つまり脚本とは、
一言でいうと○○に纏まる、
100の動詞と100のシチュエーションを描き(モチーフ)、
なおかつそれが矛盾なく論理展開し、
なおかつ感情がふれまくり、
なおかつ面白く、
なおかつそれらすべてが暗示する、
ひとつのテーマがあることである。
posted by おおおかとしひこ at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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