自分が嘘だと思うことを書いても、
なかなかうまくいかない。
本当のことを書くことにしよう。
理屈においても、感情においてもだ。
こういうことに会議で決まったから、とか、
(プロの現場で最もよくある)
これしか出来なかったから、とか、
こういうものだと人から言われたから、とか、
よく知らないけど、こんな感じでしょと思ったから、とか、
そういう風にして書いたものは、
全部嘘だ。
フィクションという嘘ではなく、
あなたの中で消化しきれていないという嘘だ。
あなたは何を書くべきか、わからなくなったら、
本当のことを書くことにしよう。
本当のこととは、
あなたの中で、理屈でも感情においても、
納得出来る、自然にわいて出てくることである。
いわばあなたの血肉になっていることだ。
そうでない限り、
あなたのペンは滑る。
表面的なところを滑り、
人の心の真芯に届かない表現になる。
知らないことを適当に書いてもだめだ。
だから取材して、人に会い、
自分の中で納得して、リアリティーを現場で見るのだ。
人の知識量なんてたかが知れている。
だから、脚本教室ではまず自分のことを書け、
なんて教える。
僕はこれは間違っていると思っていて、
「主人公は他人」という三人称の原則を学べなくなり、
多くのメアリースーを産み出してしまうと思う。
たぶん、「ドアの前の二人」を書かせた方が、
いいのではと思うぐらい。
人の知識量なんてたかが知れている。
だから取材するのだ。
ネットで得られる知識、
本で得られる知識、
人伝に得られる知識、
それらはテンプレに過ぎない。
「体験者と直接会って、整理されていないリアリティーを味わう」
のが一番いい。
それを整理するのはあなただ。
生きた知識は、そうやって増える。
それが「本当のこと」である。
脚本家を目指すやつは自閉症気味が多いから、
人と会うのは苦手かもだ。
しかし、映画は他人を描くことを思いだそう。
他人の何かを描くために、
他人の本当を、知った方がいい。
自分のことを書きたいなら、それしか書けないなら、
一人称私小説を書くべきであり、
三人称を書いてはいけない。
他人のことを書くときに、
嘘や思い込みや偏見や他人の意見はいらない。
あなたが本当だと思うことを書くこと。
あなたが分からない部分は、本当にたどり着くまで調べること。
その本当だと思うことを、
嘘の世界で描くのが、
フィクションというジャンルだ。
2015年08月18日
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