で、前記事のつづき。
遠回りだけど、「役者をやる」というのがいいんじゃないかな?
実際に板を踏むのが一番いい。
役者のワークショップに参加するのもいい。
一番安上がりなのは、
「ある台本を朗読してそれをビデオに撮る」かな。
これはまず、その役の中の人になる訓練だ。
次にやることは、
「同じ台本の別の役をやる」ことである。
男女や年齢があなたと違うほどにいい。
出来るなら「全部の役をやる」のがいい。
短い台本なら楽だ。
僕の短編シナリオは、それに丁度いいかどうかは不明だけど、
まあ参考にはなるかもだ。
全員の視点を経験することだ。
この人から見てこの人はこう見えていることと、
この人が自分で思っていることが、全て他の人に伝わっているとは限らないことを、
体験できる。
それが全部分かったとき、
全部が見えている、俯瞰的な視点があることに気づくだろう。
それが観客席だ。
観客席からは、全部が見えている。
役の中からは全部が見えていないし、
自分の中だけ分かっていて誰も知らないこともある。
三人称と一人称の違いを、
身をもって経験できるだろう。
自分の中で整理したければ、
台本に、
観客が知っている内容は赤で、
その役が知っていることは色ペンで、
線を引いてみるといい。
それはまだらになるはずである。
主人公色の部分と観客の赤の所ですら、
完全一致しない。
それをずらすことを、劇的アイロニーといい、
難しい専門用語にしては、
その辺でしょっちゅう見る。
言っても分かんないやつは、体験させるに限る。
それでもできないなら、
元々才能なんてなかったから、
さっさと諦めた方がはやい。
私たちが命をかけて書く脚本とは、
三人称の形式だ。
三人称なのに一人称と混同する人は、
小説のほうが向いているかも。
しかし真の一人称は、
三人称と混同させても駄目だから、
今度は小説界から映画脚本でも書けばと言われるかもだけど。
2015年08月19日
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私は劇作家を目指していた時、もうどうにも書けなくて、どうするか考えたうえで、実際に舞台に立ちました。
劇作家って演技やってて、そこから入るものなんでしょうけど、私の場合は小説家が向かないから劇作家を目指した人間なので、実際に演技はしたことなかった。
でも、ここで言われてるとおり、実際に演じてみて分かったことがある…いや、何が分かったのか分からないけど自分の中で何かが変化したんだと思っています。
本当に今の自分を変化したければ、役者をやってみることだと思います。
僕の周りにもね、
監督になりたい癖に芝居が下手なやつがいるんですよ。
ピアノ弾けないのに作曲家になる、
みたいなことですかね。
何が変化したのか、ここを読んでる皆さんに、
自分なりのディテールを語って頂けると幸いです。