書きたい!という衝動がない限り、
書くことはいずれ苦痛になる。
勉強のために書くことも、苦痛になる。
人は書きたいものを書くときだけ、
どんな苦労でも苦にならない。
むしろちゃんとしたいがために、たとえ苦でも嬉々としてやる。
あなたが書きたいのは、点か線かを自覚しよう。
あなたが書きたいことは何だろう。
あるものやことを、ひたすら描写したいのだとすれば、
それは点を書きたいのである。
時間軸と関係ないこと、様子を書きたいのである。
あるものやことが、次にこうなってそれからこうなって、
最後にはこうなってしまう、
ということを書きたいなら、
あなたは線を書きたいのである。
時間軸とともに進んで行く事態やその結末(落ち)を書きたいのである。
また下ネタにたとえよう。
ひとつの体位をじっくり楽しみたい、
あるいはそのバリエーションを追求したい、
ちょいちょいおかずはあってもいいが、
基本その体位、の人は、
点が書きたいのである。
○○位からはじめて△△位に展開し、
××位にいっといてからの□□位でフィニッシュ、
なんていう段取り、展開、変化を考えるのが楽しい人は、
線が書きたいのである。
自分がどちらのタイプか胸に尋ねよう。
点が書きたい人は、もうここを読まなくていい。
あなたは脚本を書くのに向いていない。
時間軸と関係ない世界にいったほうがいい。
デザインや彫刻や絵や写真やエディトリアルなど、
ジャンルはたくさんある。
線が書きたい人だけが、脚本家に向いている。
メタモルフォーゼに興味がある人だけが、
脚本を書ける素質があると考えるべきだ。
ひとつのシチュエーションしか浮かばない人は、点を書く人だ。
二つ以上のシチュエーションが次々に変化して移行するのが浮かぶ人は、
線を書く人だ。
才能というか、脳の構造や発想のあり方の問題だ。
物理学的に言うと、
xyzに興味のある人は、点を書きたいのである。
t、df/dt、∫fdtに興味のある人は、線を書きたいのである。
2015年08月19日
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