オタクであることと、
オタクでないことはどちらが有利か。
この問いは間違いだ。
どちらでもあり続けることが必要だ。
研究するときは、徹底的にオタクであれ。
細かいディテールを覚え、比較し、
それがどうやって出来たかを分解して研究しよう。
設計図を書けば自分で作れるぐらい研究しよう。
物真似だけでなく完コピだ。
その本物が持つ本物っぽさはどこから来るのか研究しよう。
偽物はどこが本物と違うのかも研究しよう。
引用関係を研究しよう。
何が何の系譜の上にいるかを研究しよう。
長年生きていれば同時代のものはある程度分かるが、
自分の生きていなかった頃の引用関係も研究出来るとよい。
歌舞伎が現在の脚本にどういう影響を与えているかを把握したりしよう。
(ト書き、香盤、上手下手ベースの話形などだ。
能や狂言との違いや、西洋文学や演劇など、
広げれば一生研究だ)
オタクとは差異である。
差異をどれだけ捉え、知り、見分けがつくことでもある。
同時に。
それらの引用が、知らない人にとってはなんの関係もないことを知ろう。
映画はマス芸術だ。
知らない人にとっては関係ないことは、映画の中では何の意味もない。
これは○○のオマージュなんてどうでもいい。
その話が面白いか面白くないかである。
オタクの拘りは、面白さの微分、焦点にとっては邪魔だ。
知らない人でも、その映画を観れば最高に面白いもの。
これを作るためには豊富な知識と、
素人目線でものを見る、両方の視点が必要だ。
僕はときどき、
どんなに専門知識を植え付けられていても、
何も知らない人の目線で無邪気に聞くことがある。
でこれなんだっけ?とか、
これ何のためにあるんだっけ?とか、
これとこれは関係あるんだっけ?とか。
多くの人にとっては、
監督打ち合わせしたじゃないですか、認知症ですか、
とうざがられる。
しかし僕は、ときどき何も知らない人の目線に意図的に戻るのである。
何も知らない人を説得できるか。
何も知らない人の心を動かせるか。
何も知らない人を夢中にさせられるか。
何も知らない人の人生を、いい方向に変えられるか。
勿論自問自答なのである。
ド素人役の僕が尋ねて、
オタクでプロフェッショナルの僕が答えるのだ。
そういう意味で、
常にオタクであり、常に素人でなければならない。
ときどき、ヘルスに疑問を呈してみるのである。
本番でないのにどうしてお金を払っているのかなあと。
そういう仕組みで了解しているのに、
ときどき素人目線でフェラだけでお金が発生しているこれはなんだ、
と疑問に思うのである。
結論は自由だ。
安いから、でもいいし、
そういう新しい仕組みが面白いのだ、でもいいし、
それは建前で裏取引がある、でもいいし、
女の子も実は本番したいときがある、でもいい。
これが男女逆で男がクンニしてくれる風俗があるなら、でもいい。
この子達は以前何をしていてその後どうなるだろう、でもいいし、
人妻風俗の人たちはこの子達が継続しているのだろうか、でもいい。
素人目線で俯瞰し、
オタク目線でディテールを詰めること。
2015年08月19日
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