さらに続き。
これらの議論から言えることは、
下手な落ちとはこういうものだ。
結局、何だったのか、どういう意味だったのか、よく分からない。
一部に意味不明な部分がある。
一部に落ちにも途中の展開にも関係なかった部分がある。
ラストがそうだとすると、矛盾する点があった。
作者の主張がうぜえ。だったら論文でやれ。
途中から別の話になってしまった。
だらだら長い。
終わり時を間違えた。
などである。
うまくいっていない落ちは、
落ちだけでは決まらない。
全体が落ちのためにある、美しい形でなければ、
落ちと認識できないからである。
下手な落ちは、
落ちだけでなく全体のことだ。
「あれ、いる?」「あそこ意味不明」
「あそこいらなかった」
などの不満が出る話は、
そのパートが落ちと関係ないか、
落ちがそのパートの存在意義を受け止めきれていないか、
全体の構成が良くないかの、
どれかである。
問題はその部分にあるとは限らない。
その部分は点に過ぎず、線である物語は、
線のどこかに問題があることもあるのだ。
電気回路の設計とか、人体の経絡に似ているかも知れない。
そして落ちとは、これ以上フォローアップの効かない部分だ。
落ち以前ならばフォローして連関を紡ぐことも出来たかも知れないが、
落ちで終わってしまっては、
それ以上何も語れない。
誤魔化しが効かなくなるのである。
だから落ちは難しい。
さて、いい落ちの練習には、
5分シナリオではしんどいと思う。
もっと前ふりをしっかりして、
もっと展開をしっかりした上での、
ズバッとした落ちを練習したほうがいい。
僕の経験上、
その落ちの練習に最適なのは、
7、8分または30分だ。
個人差もあるかも知れないけれど、
この尺は、
「一気書き可能な大きさ」だと思う。
一気書き出来ずに、一回寝てしまうと、
昨日書いてたことの生っぽさが失われる気がする。
前半のビビッドな記憶がなくなってしまう。
だから、寝ないで書ける最大の分数で、
一気書き→落ちの練習をしたほうがいい。
僕はマックス30分(原稿用紙30枚、1万2000字相当)だ。
実質25分ぐらいが丁度いいみたいだけど。
2時間の落ちを考える暇があったら、
細かい話を作っては、キレのある落ちの練習をするのがよい。
はじめての2時間シナリオをいつ書くべきかは、才能によるけれど、
基準としては、それまで書いたものが2時間を越えたとき、
で考えるといいと思う。
(実際にはその3倍、6時間程度のキャリアがあって、
はじめて2時間に挑んだほうが楽だと思う)
結局、落ちとは、全体なのである。
その一場面ではないのである。
全体の設計なのである。
それが体で分かるまで、練習したほうがいい。
(体で分かるために、
いいシナリオを書写するのは大変よろしい。
それに最適なシナリオがあまり転がっていないのが、
初心者の勉強に辛いところである。
僕の短編シナリオがそこまで勉強になるかは分からないが、
書写をすることで分かることも沢山あるよ。
CMディレクターになるための勉強のひとつに、
名作のコンテを写す、というのがあるぐらいだ)
2015年08月22日
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