2015年08月22日

下手な落ち

さらに続き。

これらの議論から言えることは、
下手な落ちとはこういうものだ。


結局、何だったのか、どういう意味だったのか、よく分からない。
一部に意味不明な部分がある。
一部に落ちにも途中の展開にも関係なかった部分がある。
ラストがそうだとすると、矛盾する点があった。
作者の主張がうぜえ。だったら論文でやれ。
途中から別の話になってしまった。
だらだら長い。
終わり時を間違えた。


などである。
うまくいっていない落ちは、
落ちだけでは決まらない。
全体が落ちのためにある、美しい形でなければ、
落ちと認識できないからである。

下手な落ちは、
落ちだけでなく全体のことだ。

「あれ、いる?」「あそこ意味不明」
「あそこいらなかった」
などの不満が出る話は、
そのパートが落ちと関係ないか、
落ちがそのパートの存在意義を受け止めきれていないか、
全体の構成が良くないかの、
どれかである。

問題はその部分にあるとは限らない。
その部分は点に過ぎず、線である物語は、
線のどこかに問題があることもあるのだ。
電気回路の設計とか、人体の経絡に似ているかも知れない。

そして落ちとは、これ以上フォローアップの効かない部分だ。
落ち以前ならばフォローして連関を紡ぐことも出来たかも知れないが、
落ちで終わってしまっては、
それ以上何も語れない。
誤魔化しが効かなくなるのである。

だから落ちは難しい。




さて、いい落ちの練習には、
5分シナリオではしんどいと思う。
もっと前ふりをしっかりして、
もっと展開をしっかりした上での、
ズバッとした落ちを練習したほうがいい。

僕の経験上、
その落ちの練習に最適なのは、
7、8分または30分だ。
個人差もあるかも知れないけれど、
この尺は、
「一気書き可能な大きさ」だと思う。

一気書き出来ずに、一回寝てしまうと、
昨日書いてたことの生っぽさが失われる気がする。
前半のビビッドな記憶がなくなってしまう。
だから、寝ないで書ける最大の分数で、
一気書き→落ちの練習をしたほうがいい。

僕はマックス30分(原稿用紙30枚、1万2000字相当)だ。
実質25分ぐらいが丁度いいみたいだけど。

2時間の落ちを考える暇があったら、
細かい話を作っては、キレのある落ちの練習をするのがよい。
はじめての2時間シナリオをいつ書くべきかは、才能によるけれど、
基準としては、それまで書いたものが2時間を越えたとき、
で考えるといいと思う。
(実際にはその3倍、6時間程度のキャリアがあって、
はじめて2時間に挑んだほうが楽だと思う)



結局、落ちとは、全体なのである。
その一場面ではないのである。
全体の設計なのである。

それが体で分かるまで、練習したほうがいい。
(体で分かるために、
いいシナリオを書写するのは大変よろしい。
それに最適なシナリオがあまり転がっていないのが、
初心者の勉強に辛いところである。
僕の短編シナリオがそこまで勉強になるかは分からないが、
書写をすることで分かることも沢山あるよ。
CMディレクターになるための勉強のひとつに、
名作のコンテを写す、というのがあるぐらいだ)
posted by おおおかとしひこ at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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