2015年08月24日

「最後まで書けない」のは書き方が悪い

相変わらずこのキーワードで検索してくる人があとを立たないので、
目から鱗を落としてあげよう。

プロットは書いてるかい?
多分最後まで書けない人、
途中の展開が思いつかない人は、
プロットの書き方が悪いのだ。

何故ならプロットとは、
展開を考えたり、最後まで一本筋を通す為の道具だからである。


なんとなく入門書を読んで、
なんとなくプロットを書いてやしないだろうか?
プロットを書く意味を分からず、
作法とかマナーぐらいのつもりで書いてないか?
それは間違っている。

プロットとはなんだろう。
ざっくりしたあらすじみたいなもの?
そうではない。
そう思っているから、あなたは最後まで書けないのだ。


たとえばあなたが「ロッキー」を書くとして、
プロットとして、何を準備すればよいだろう?

ロッキーの基本設定、周囲の人物の基本設定は別紙に書くだろう。
うらぶれた日常からはじまり、
世界戦の相手に指名され、
トレーニングし、
最後の試合に負けるがエイドリアンの名前を叫ぶところは、
少なくともプロットに書くだろう。

これでプロットを書いたことになる?
いやいや、ざっくり過ぎる。
第一ターニングポイントは?
第二ターニングポイントは?
ミッドポイントはどうか?
エイドリアンをどうやってデートに誘いだし、
どうやって結ばれるのか?
ポーリーが肉屋から肉をくすねること、
冷凍肉を叩くこと、そこにテレビ中継が入ってポーリーがひと儲けして、
喧嘩の原因になること。

あるいは、最初のバーでポーリーが飲んだくれているときに、
テレビでアポロの試合をやっていて、
そもそもロッキーはアポロを尊敬している場面。
ミッキーのサブプロットも重要だ。
「俺に全盛期はなかった!」という名台詞は、
プロット時点からあったかも知れない。
これでもプロットには足りない?
逆に、どこまでプロットに書けばいい?

プロットがプロットとして完成する条件は、
たったひとつである。
最初から最後まで、
一本の線が繋がったときである。

最初に発生した感情が、
目的を持ち、焦点を持ち、動機を持ち、
それが行動に結びつき、流れはじめたら、
なん十個ものターニングポイントを経て、
次々に流れが変わって行き、
最後の決着、落ちまで、
一本の線として繋がったときである。

途切れ途切れの線がもしあったら、必ずそこで執筆は途切れて終わる。
(つまり最後まで書けない)
プロなら技を持っていて誤魔化しきれることもあるが、
技の貧弱なアマチュアは、
一本の線がプロットで途切れていたら、
間違いなくそこで書けなくなる。

つまり、プロットは、
あなた自身が最後まで書けるように、書くのである。

決して誰かに見せて、アドバイスを乞うたり、
ドヤ顔をするためにないのである。
(プロになってからのプロットはちょっと違ってて、
ビジネス上の約束事の書類として存在する。
しかしそれは、アマチュア用のプロットが自在に書けてからの話だ)


もしあなたが最後まで書けないのなら、
そもそもプロットで、最後まで書ける見積もりが甘いのである。

プロットには何を書くべきか。
実は全てだ。
執筆の時書くこと、つまり実際の台詞や演出のこと、
以外の全てを書くべきなのだ。

絵を描くときに、慣れてないポーズを描くのなら、
下書きに中の骨ごと書くように、
プロットには、実際の台詞と芝居よりも、
もっと深い要素まで切り込んで書くのである。

どこまで深く書き込むかは、
あなたが執筆時に迷わないレベルまで、である。
そうでなければ、下書きでもなんでもない。


プロットは、あらすじでもざっくりでも、なんでもない。
いわば執筆の下書きなのである。

その下書きが不十分だから、
直接ペン入れしながらデッサンをしてしまい、
上手く書けず、途中で放り出しているだけなのだ。


プロットを下書きだと思おう。
疑問に思うことは何でも下書きしておこう。
例えば○○が○○する理由は何故か、とか、
ストーリーに使うものから使わないものまで、
全部メモしておくべきだ。
どういう流れから、どういう次の流れが来るかも、
俯瞰できるようになるべきだ。
その中間にある、ターニングポイントも整理してより劇的にするべきだ。
登場人物の気持ちや行動も、全て一本の線になり、
途切れずに流れるようにしておくべきだ。
あれの次にこれになり、あれゆえにこれゆえになる、
ということを、全部説明出来るようになるべきだ。

そして、それら全部がとても面白いように、
作られるべきである。

つまりプロットとは、
最後のペン入れ以外の、全てのことが、
出来ていなければならないのである。


あなたが最後まで書けないのは、
プロットが最後まで書けるように、出来ていないのが原因だ。

途中で面白くなくなったから?
途中でどうすればいいか分からなくなったから?

その程度で執筆が止まるようなプロットなんて、
所詮、出来ていないプロットだったのだよ。

プロットをちゃんと作れ。
何のために?
最初から最後まで、一本の太い筋を通すためだ。
それをストーリーという、よく分からないものの名前で呼ぶ。
最後まで書けないのは、
その線がそもそも一本になってなかったのである。

プロットは、どれだけ細かく書いてもいい。
ペラ20枚近く書いたこともある。

あなたが納得して、これは面白いぞと思い続け、
最後まで書ききれるのであれば、
なんでもいいのだ。

執筆の燃料はプロットだ。
プロットの夢想を現実のものにする為に、執筆がある、
と考えるといい。
執筆の時にプロットを再考するようなら、
執筆に入るレベルのプロットの出来ではなかったのである。



どうやったらそんなプロットが書けるかって?
練習しかない。
プロット100本組手もある。
三題噺もある。
そもそも長編でなく、短編を沢山書くトレーニングはオススメだ。
最後まで沢山書いた経験は、
自分が最後まで書けそうなプロットかどうかを、
自力で判定しやすくなる。

プロット先で執筆が後のような気がするかも知れないが、
実際、プロの書くプロットは、
豊富な執筆経験からもたらされた、逆算のプロットだ。
執筆が沢山あるから、プロットが書けるようになる。
卵と鶏みたいだけど、本当だ。


まず、短いストーリーを沢山書いて、
プロットなんて書かずにすまそう。

その短いの数本分の長い話(中編)を書くとき、
はじめてプロットを書いてみるぐらいでいい。

最後まで自分が書くことを想像し、
何をプロット段階で準備しておけばいいか、
わかるはずである。



そしていよいよ長編を書くときに、
きちんとプロットを練りまくればそれでよい。
最後まで一本の勢いの入ったプロットが書けたとき、
はじめて最後まで書けると思う。

逆に。
一本の勢いが最初から最後まで書いてさえあれば、
文章でなくモニャモニャの図でもいい。
(てんぐ探偵執筆時の、文章でない形式のプロットについては、
ちょいちょいここに載せている)

あなたが最後まで書けるための武器。それがプロット。
最後まで書けないのは、その武器が弱いのである。
posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック