相変わらずこのキーワードで検索してくる人があとを立たないので、
目から鱗を落としてあげよう。
プロットは書いてるかい?
多分最後まで書けない人、
途中の展開が思いつかない人は、
プロットの書き方が悪いのだ。
何故ならプロットとは、
展開を考えたり、最後まで一本筋を通す為の道具だからである。
なんとなく入門書を読んで、
なんとなくプロットを書いてやしないだろうか?
プロットを書く意味を分からず、
作法とかマナーぐらいのつもりで書いてないか?
それは間違っている。
プロットとはなんだろう。
ざっくりしたあらすじみたいなもの?
そうではない。
そう思っているから、あなたは最後まで書けないのだ。
たとえばあなたが「ロッキー」を書くとして、
プロットとして、何を準備すればよいだろう?
ロッキーの基本設定、周囲の人物の基本設定は別紙に書くだろう。
うらぶれた日常からはじまり、
世界戦の相手に指名され、
トレーニングし、
最後の試合に負けるがエイドリアンの名前を叫ぶところは、
少なくともプロットに書くだろう。
これでプロットを書いたことになる?
いやいや、ざっくり過ぎる。
第一ターニングポイントは?
第二ターニングポイントは?
ミッドポイントはどうか?
エイドリアンをどうやってデートに誘いだし、
どうやって結ばれるのか?
ポーリーが肉屋から肉をくすねること、
冷凍肉を叩くこと、そこにテレビ中継が入ってポーリーがひと儲けして、
喧嘩の原因になること。
あるいは、最初のバーでポーリーが飲んだくれているときに、
テレビでアポロの試合をやっていて、
そもそもロッキーはアポロを尊敬している場面。
ミッキーのサブプロットも重要だ。
「俺に全盛期はなかった!」という名台詞は、
プロット時点からあったかも知れない。
これでもプロットには足りない?
逆に、どこまでプロットに書けばいい?
プロットがプロットとして完成する条件は、
たったひとつである。
最初から最後まで、
一本の線が繋がったときである。
最初に発生した感情が、
目的を持ち、焦点を持ち、動機を持ち、
それが行動に結びつき、流れはじめたら、
なん十個ものターニングポイントを経て、
次々に流れが変わって行き、
最後の決着、落ちまで、
一本の線として繋がったときである。
途切れ途切れの線がもしあったら、必ずそこで執筆は途切れて終わる。
(つまり最後まで書けない)
プロなら技を持っていて誤魔化しきれることもあるが、
技の貧弱なアマチュアは、
一本の線がプロットで途切れていたら、
間違いなくそこで書けなくなる。
つまり、プロットは、
あなた自身が最後まで書けるように、書くのである。
決して誰かに見せて、アドバイスを乞うたり、
ドヤ顔をするためにないのである。
(プロになってからのプロットはちょっと違ってて、
ビジネス上の約束事の書類として存在する。
しかしそれは、アマチュア用のプロットが自在に書けてからの話だ)
もしあなたが最後まで書けないのなら、
そもそもプロットで、最後まで書ける見積もりが甘いのである。
プロットには何を書くべきか。
実は全てだ。
執筆の時書くこと、つまり実際の台詞や演出のこと、
以外の全てを書くべきなのだ。
絵を描くときに、慣れてないポーズを描くのなら、
下書きに中の骨ごと書くように、
プロットには、実際の台詞と芝居よりも、
もっと深い要素まで切り込んで書くのである。
どこまで深く書き込むかは、
あなたが執筆時に迷わないレベルまで、である。
そうでなければ、下書きでもなんでもない。
プロットは、あらすじでもざっくりでも、なんでもない。
いわば執筆の下書きなのである。
その下書きが不十分だから、
直接ペン入れしながらデッサンをしてしまい、
上手く書けず、途中で放り出しているだけなのだ。
プロットを下書きだと思おう。
疑問に思うことは何でも下書きしておこう。
例えば○○が○○する理由は何故か、とか、
ストーリーに使うものから使わないものまで、
全部メモしておくべきだ。
どういう流れから、どういう次の流れが来るかも、
俯瞰できるようになるべきだ。
その中間にある、ターニングポイントも整理してより劇的にするべきだ。
登場人物の気持ちや行動も、全て一本の線になり、
途切れずに流れるようにしておくべきだ。
あれの次にこれになり、あれゆえにこれゆえになる、
ということを、全部説明出来るようになるべきだ。
そして、それら全部がとても面白いように、
作られるべきである。
つまりプロットとは、
最後のペン入れ以外の、全てのことが、
出来ていなければならないのである。
あなたが最後まで書けないのは、
プロットが最後まで書けるように、出来ていないのが原因だ。
途中で面白くなくなったから?
途中でどうすればいいか分からなくなったから?
その程度で執筆が止まるようなプロットなんて、
所詮、出来ていないプロットだったのだよ。
プロットをちゃんと作れ。
何のために?
最初から最後まで、一本の太い筋を通すためだ。
それをストーリーという、よく分からないものの名前で呼ぶ。
最後まで書けないのは、
その線がそもそも一本になってなかったのである。
プロットは、どれだけ細かく書いてもいい。
ペラ20枚近く書いたこともある。
あなたが納得して、これは面白いぞと思い続け、
最後まで書ききれるのであれば、
なんでもいいのだ。
執筆の燃料はプロットだ。
プロットの夢想を現実のものにする為に、執筆がある、
と考えるといい。
執筆の時にプロットを再考するようなら、
執筆に入るレベルのプロットの出来ではなかったのである。
どうやったらそんなプロットが書けるかって?
練習しかない。
プロット100本組手もある。
三題噺もある。
そもそも長編でなく、短編を沢山書くトレーニングはオススメだ。
最後まで沢山書いた経験は、
自分が最後まで書けそうなプロットかどうかを、
自力で判定しやすくなる。
プロット先で執筆が後のような気がするかも知れないが、
実際、プロの書くプロットは、
豊富な執筆経験からもたらされた、逆算のプロットだ。
執筆が沢山あるから、プロットが書けるようになる。
卵と鶏みたいだけど、本当だ。
まず、短いストーリーを沢山書いて、
プロットなんて書かずにすまそう。
その短いの数本分の長い話(中編)を書くとき、
はじめてプロットを書いてみるぐらいでいい。
最後まで自分が書くことを想像し、
何をプロット段階で準備しておけばいいか、
わかるはずである。
そしていよいよ長編を書くときに、
きちんとプロットを練りまくればそれでよい。
最後まで一本の勢いの入ったプロットが書けたとき、
はじめて最後まで書けると思う。
逆に。
一本の勢いが最初から最後まで書いてさえあれば、
文章でなくモニャモニャの図でもいい。
(てんぐ探偵執筆時の、文章でない形式のプロットについては、
ちょいちょいここに載せている)
あなたが最後まで書けるための武器。それがプロット。
最後まで書けないのは、その武器が弱いのである。
2015年08月24日
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