少し深い話を。
何のために創作をするのだろうか?
お金が欲しいから?
有名になりたいから?
今、有名になるのは簡単だ。
コミュ能力がある人なら。
業界のサロンに入り、気に入られればいい。
人気キャバ嬢のようなホスピタリティがあれば、
バカなサロナーほどニコニコしてくれる。
そうやって取り入ってサロンに入れれば、
いずれ小さな仕事を回してくれる。
そつなく仕上げ、問題を起こさなければ、
サロン内での地位が上がり、
サロンの人が審査員をやる賞のコンペに出す機会が訪れる。
そこで賞を取れば、将来は安泰だ。
次々に(予算が)ビッグプロジェクトが舞い込み、
クリエイターとして注目され、
ブランド化していくだろう。
必要なのは、少しの才能と、
多くのコミュ力(後輩として可愛がられる力)だ。
女性クリエイターが増えた理由は、
サロンがオッサンだからだ。
女性クリエイターは皆美人だ。
不細工で才能のある女性は、気に入られないからサロンに入れない。
このかわいい子才能あるんだよ、
とサロンが推しやすい子から、売れていく。
男は、不細工過ぎなければ合格だ。
コジャレているとベストだ。
さて、あなたはこんなサロンに入りたいか?
身内で仕事を回し続け、賞をサロン化し、
対して良くもない無難な成果物を誉めあう、
サロンに入りたいか?
入りたいなら止めない。そこでぬるま湯に浸かるもよし、
牙を隠して本性を偽り、いつか牙を剥くタイミングを狙ってもいい。
僕は、そんなぬるま湯はまっぴらだ。
だって、おもしろいものを作ることがしたいのだから。
これまでの歴史を越える、おもしろいものを作りたい。
その為に創作というものはするのではないか。
どっかのパクりコピペやふんどしを借りるのは創作ではない。
オリジナルこそが創作であり、だから尊ばれるはずだ。
今、映画ベースの大衆芸術は死にかかっている。
磐石と思われたハリウッド映画はちょっと怪しい。
邦画はもうダメかも知れない。
テレビドラマは息をしてるのか?
僕は、サロンのせいのような気がしている。
サロンが自浄力をなくし、
生き残る為だけに若手を利用してきた結果だと思っている。
サロンのない業界はないかも知れないから、
これは単なる愚痴かも知れない。
何のために創作をするのだろうか?
有名になりたいから?
金が欲しいから?
それを満たすには、サロンに入るべきだ。
世間づきあいが上手い人が、
中途半端な実力で、スター扱いされるだろう。
何のために創作をするのだろうか?
僕は、おもしろいものを作りたいからだ。
色々な事情で妥協してしまうことなく、
こっちのほうがいい、あっちの方がいい、
と徹底的に詰めて練り尽くした、
ギリギリのおもしろいものを作りたいからだ。
それは、今や、サロン化した詰まらない、
エセ創作物に囲まれて、正気を失いそうになることへの、
唯一の抵抗である。
抵抗運動というのは、必然的にゲリラ戦術にならざるを得ない。
ゲリラ革命が成功するのは、大口のスポンサーがつくときと、
相場が決まっている。
それはそれで、また別原理のサロンに入ることなのかも知れない。
CMはもうダメだろう。デザインもダメかも知れない。
今良心的でおもしろいものは、誰もが注目しない、
細々とした所でみられるのかも知れない。
圧倒的物量で面白さを競いあう時代はいつの間にか終わり、
圧倒的物量だけを回すための、箸にも棒にも引っかからない、
詰まらないコンテンツが虚しく回り続けているだけだ。
邦画もそうなると思う。
シネコンは、圧倒的物量サロンを作って、
新しい才能の芽のでるステージを閉めてしまった。
僕は、正気を保つために創作をしている。
おもしろいってこういうことだよね?
と確認するために創作をしている。
てんぐ探偵がおもしろくないのなら、
既に僕は、気が狂っているのだろう。
創作は、人生と引き換えだ。
その覚悟がないのなら、
サロンに馴染んだほうが、
ぼんくらに羨ましがられる人生を送れるかも知れない。
おもしろいものを誰かが見つけ、
それが口コミで広がり、流行に火がつく、
という80年代から90年代にあったドリームは、
もうないのかも知れない。
それでも僕は、正気を保つために創作をするだろう。
おもしろいものを作ることが、クリエイターの人生だと思う。
つまり僕は、今の業界にわりと悲観的で絶望的である。
そうでもなければ、56話を一人で自主制作するのは狂気の沙汰だと思う。
俺が「孤高の人」になっちゃってるよ。
またどこかで、おもしろいものを作ります。
時代とずれてなかったりしたら、
局地的にヒットするかも知れません。
あなたは何のために創作をするのだろうか?
すぐに答えは出なくていい。
しかしいつかどこかで、答えを出すべきだ。
2015年08月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック