物語とは、流れのことだ。
何かが動いて、ストーリーの流れがあり、
静止するのはちっとも面白くない(じっとしてばかり!)。
これをかつては外形から捉えて書いてみたが、
更に内奥に迫ってみようと思う。
ストーリーとは動きである。
我々観客のなかに、「運動の感覚を起こす」ものである。
簡単な例で、ダンスビデオを考えよう。
ノリのいい音楽や激しく面白い動きを見て、
我々は体を動かしたくなる。
しかし僕のようなダンス音痴は何をしていいか分からず、
モヤモヤするだけだ。
ダンス経験者で十分体が動く人ならば、
ダンスビデオを見ただけで、
体の中で「運動の再現」をするはずだ。
経験者であればあるほど、
このダンサーの体のキレは凄いとか、
こいつはたいしたことないとか、
体の中の運動の再現から判断できるだろう。
スポーツ経験者がそのスポーツを観戦するときも同じだ。
俺らみたいなオッサンが野球を応援するのと、
野球経験者がプロ野球を見るのは、まるで違う見方だ。
俺らは誰が何をやってるかとか、勝った負けたとか展開レベルだけど、
経験者は、あいつのあれは上手いとか、ここからなら間に合うはずだ、
などの、プレイヤー感覚で見ている。
それは視覚の判断ではなく、視覚から認識された、
「脳の中の動きの再現」としか言いようのない感覚で判断するだろう。
さて、映画である。
僕は、これと似たことが映画を見ている人の中で起こっていると考える。
つまり、映画の中の「動き」を、
自分の「動き」に置き換え、想像しているのだ。
アクション映画は分かりやすい。
カンフーやカーチェイスや銃撃戦での、
いろんな人の体の動きを、我々は頭の中で無意識に再現している。
その動きが興奮すればするほど、
アクションとして出来が良いと感じる。
マトリックスで見られたアクロバティックアクションは、
それが従来のアクションにはない、
新しい「動き」だと感じられたからこそ、
映像革命と言われたのだ。
ラブシーンも分かりやすい。
我々は、主人公とヒロインのラブラブな動きを、
頭の中で再現して楽しむ。
女子なら実際に触られている感覚を、
男子なら触っている感覚を、
頭の中で再現しているはずである。
映画は視覚だけで見るのではない。
視覚から形成された、「頭の中の何か」で感覚を得るのである。
これらがダンス経験者が見るダンスビデオと違うのは、
「それを経験したことがない人でも、
その動きの感覚が味わえるように作られている」ところだ。
ピアノ経験者がピアノシーンのリアリティーによく文句言うけど、
これはナンセンスだ。
「ピアノ経験者でなくとも、ピアノを弾いてるかのような、
動きの感覚が得られるかどうか」が肝心で、
これに達してないから非難されるべきなのである。
つまり、カーチェイスやカンフーやラブシーンは、
ある種の経験者はいるだろうけれど、
殆どは未経験者でも、その動きを頭の中に構築して楽しむことが出来るのが、
映画の楽しみの本質なのだ。
さて、カンフーやラブシーンだけが映画か?
それは派手で分かりやすい所で説明したに過ぎない。
ここからが本題だ。
映画が我々の頭の中に構築するのは、
「人生という動き」または、「事件発生から解決までの動き」
なのである。
物理的に動いてなくても、
たとえば結婚や就職や仕事のゲットや恋人と別れるのは、
それを経験する人の中で、
激動の感覚がある。
事件発生から解決まで、物理的に動いてなくても、
それは激動の感覚がある。
事態やフェイズが変わったり、環境が変わったりすることも、
付随して起きるだろうし、
なにより内面(感情、価値観、哲学)に変化があるだろう。
それらの、「変動、激動」の感覚を、
頭の中に起こすような感覚こそが、
「ストーリーとは動きである」の正体だ。
僕はいつも、ストーリーの流れって何だろうと、
言葉にとらえられない。
面白い話は流れがスムーズで、それに乗っていれば大変たのしい。
一方詰まらない話は流れが途切れがちで、停滞して、
乗りが悪い。流れらしい流れもない。
この差は、物理的な原稿ではなく、
「我々の中に、人生や事件という激動、変動の感覚が形成されるのか」
ということに関係するのではないだろうか。
その激動の感覚が、
主人公が物理的に動くこと(アクション)と関係するからこそ、
映画は面白く、感情移入するのではないか。
アクションのなかには、カンフーやラブシーンだけでなく、
人生の中でのアクション、
つまり、電話する、ドアをあける、肩を組む、
移動する、などを含んでいる。
棒立ちで何もしない主人公は、主人公ではない。
主人公は、目に見えるアクションで、
感情や考えを表現しなければならない。
我々観客は、彼が敵と肩を組むアクションを見ることで、
電撃的和解という激動の感覚が頭の中で出来上がるのである。
ストーリーとは動きである。
それは、表面上の動きと、
物語の内容の動きと、
我々の頭の中で再現している動きが、
全て連動することである。
それが出来ない下手な奴の書いた話は、
それがない。
どうやったら上達するかは分からない。
体の感覚を鍛えるなら、ダンスでもはじめてみてはどうか。
頭でっかちの、糞進撃みたいになる前に。
2015年08月25日
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