2015年08月27日

短編と長編は、落ちの違いだ

「短編と長編の違い」という検索ワードで来た方がいたので、
それについて考えてみたい。

短編と長編は、物理的に、登場人物と、事件の規模が違う。
短編は登場人物2〜3人(下手したら一人)、短い尺で解決する話。
長編は登場人物5〜6人(二時間はこれぐらいというのが僕の経験則)、
長い尺で解決する話だから、複雑に入り組んでていい。

しかし本質的な違いは、落ちではないだろうか。


長編は、(比較的)複雑で入り組んだお話だ。
だからそれを理解するのに集中力がいる。
その分感情移入も深いし、振れる感情も七色だ。

だから、終わったとき、
損した気分になりたくない。
自分の集中力に使ったコストが無駄だったと思いたくない。
だから、
今あった話に、意味があったと思いたい。
それが落ちだ。

長く付き合った意味があった、
この話はこういう意味だったのだ、
と人は思いたい。
だから落ちがガッツリテーマに噛み合うことが大事だ。

なるほどこれは全体ではこういう話だったのか、
と最後に俯瞰したとき、
見事な出来になっていなければならない。


一方、短編では、キレのある落ちの方が大事だ。
長編の落ちが心に深く染み入る落ちだとすれば、
短編の落ちは、
びっくりしたり、謎めいていたり、上手い!と唸る落ちの方がいいと思う。

長編の落ちにびっくりや、謎めきや、上手い!は必要ない。
あればあったでいいキレだと評価されるだろうが、
キレよりも、深みや完成度や、凄さやコクのほうが必要だと思う。
(それは軽いスナックとヘビーなステーキの差で、
食べる側が使うコストに見あったリターンを無意識に期待するからだ)


短編の落ちはキレだ。
極端な話、解決しなくても構わない。
「あれは一体なんだったのだろう」で落ちで、不気味さで終わってもいい。
代表的なのは怪談である。
怪談に落ちはない。(あるのもある)
「犯人は捕まっていないのです、あなたの後ろにいるかも知れません」とか、
「二度とそこから戻った人はいないのです」とか、
「その幽霊騒ぎの謎は解明されていません」でも構わない。
解決しなかった不気味が、怪談の肝であるからだ。

解決とはテーマの定まり、確定だ。
確定させることでコクがあるのだとしたら、
確定させないことがキレなのかも知れない。

たとえば、映画「少年時代」は、
未解決でテーマも不定である。
それは、短編のキレ落ちだと思う。
あのガキ大将は見送ってくれたけど、二度と会えなかった、
何も解決してないけど、終戦で終わってしまった、
という、「やるせなさ」で終わっている。
それは、短編のキレ落ちだと思う。

「そして、一生彼に会うことはなかった」という落ちは、
短編のキレ落ちの定番だ。

たとえば西原理恵子には、頻繁にこの短編が多い。
僕の一番好きな話は「ちん坊」とか、
「晴れた日には学校を休んで」の中の黒猫を埋めるエピソードだ。
テーマはない。モチーフの魅力だけだ。
「こんな不思議なこと、印象的なことがあった。
どういう意味かは分からない。しかし人生というものはそういうものなのだ」
とあう定型に纏められるような気がする。

転校生が来たけれど去っていった、
というのは「風の又三郎」のパターンだけど、
これはそのパターン化といってもよい。
(てんぐ探偵第40話「見える友達」は、この定型を使っている)


短編は、落ちがキレている方がいい。
勿論テーマを暗示してもいいが、
「人生とは我々卑小な人間が理解できない不思議なものである」
という落ちにしても構わない。

あるいは、バッドエンドにして、
人間や社会風刺をするのもキレ落ちだと思う。
「世にも奇妙な物語」や、星新一のショートショートの多くは、
そういうキレ方をしていると思う。


これらのキレ落ちは、
逆に長編には通じない。

例えば未解決エンド。
「ゾディアック」「殺人の追憶」は、
本当にキレが悪くてイライラする。
「エヴァ」(旧版)も同じくだ。
僕はこれらを認めていないことは度々書いている。
不条理極まりない「マルホランドドライブ」についても同様だ。

「二度と会えなかった」エンド。
「天国の口、終わりの楽園」はそのようなエンドだが、
長さに対してその終わりは、テーマが確定しなくてモヤモヤする。
あと30分短ければ、短編のキレ的な落ちの快感があったかも知れないが。
「スタンドバイミー」「少年時代」は、
どちらもこのエンドだが、
前者は90分というコンパクトな尺で、短編のキレ落的だと思う。
後者は117分のため長いが、
日本映画に稀有な映像美のせいで、一編の短編の気品がある。
井上陽水の名曲や、リアルにSLを走らせたのも相まって、
何もかもがどうでもよくなるラストで、
キレた落ちだと思う。



短編には短編なりの落ち方がある。長編の落ちはコンパクトにすれば使える。
長編には長編なりの落ち方がある。短編の落ちは使いにくい。

その違いを研究し、知り、使いこなすと、
両方書けるようになる。
どちらも書けるのが理想だけど、
短編に特化しないほうが応用が効くと思う。
posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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