「短編と長編の違い」という検索ワードで来た方がいたので、
それについて考えてみたい。
短編と長編は、物理的に、登場人物と、事件の規模が違う。
短編は登場人物2〜3人(下手したら一人)、短い尺で解決する話。
長編は登場人物5〜6人(二時間はこれぐらいというのが僕の経験則)、
長い尺で解決する話だから、複雑に入り組んでていい。
しかし本質的な違いは、落ちではないだろうか。
長編は、(比較的)複雑で入り組んだお話だ。
だからそれを理解するのに集中力がいる。
その分感情移入も深いし、振れる感情も七色だ。
だから、終わったとき、
損した気分になりたくない。
自分の集中力に使ったコストが無駄だったと思いたくない。
だから、
今あった話に、意味があったと思いたい。
それが落ちだ。
長く付き合った意味があった、
この話はこういう意味だったのだ、
と人は思いたい。
だから落ちがガッツリテーマに噛み合うことが大事だ。
なるほどこれは全体ではこういう話だったのか、
と最後に俯瞰したとき、
見事な出来になっていなければならない。
一方、短編では、キレのある落ちの方が大事だ。
長編の落ちが心に深く染み入る落ちだとすれば、
短編の落ちは、
びっくりしたり、謎めいていたり、上手い!と唸る落ちの方がいいと思う。
長編の落ちにびっくりや、謎めきや、上手い!は必要ない。
あればあったでいいキレだと評価されるだろうが、
キレよりも、深みや完成度や、凄さやコクのほうが必要だと思う。
(それは軽いスナックとヘビーなステーキの差で、
食べる側が使うコストに見あったリターンを無意識に期待するからだ)
短編の落ちはキレだ。
極端な話、解決しなくても構わない。
「あれは一体なんだったのだろう」で落ちで、不気味さで終わってもいい。
代表的なのは怪談である。
怪談に落ちはない。(あるのもある)
「犯人は捕まっていないのです、あなたの後ろにいるかも知れません」とか、
「二度とそこから戻った人はいないのです」とか、
「その幽霊騒ぎの謎は解明されていません」でも構わない。
解決しなかった不気味が、怪談の肝であるからだ。
解決とはテーマの定まり、確定だ。
確定させることでコクがあるのだとしたら、
確定させないことがキレなのかも知れない。
たとえば、映画「少年時代」は、
未解決でテーマも不定である。
それは、短編のキレ落ちだと思う。
あのガキ大将は見送ってくれたけど、二度と会えなかった、
何も解決してないけど、終戦で終わってしまった、
という、「やるせなさ」で終わっている。
それは、短編のキレ落ちだと思う。
「そして、一生彼に会うことはなかった」という落ちは、
短編のキレ落ちの定番だ。
たとえば西原理恵子には、頻繁にこの短編が多い。
僕の一番好きな話は「ちん坊」とか、
「晴れた日には学校を休んで」の中の黒猫を埋めるエピソードだ。
テーマはない。モチーフの魅力だけだ。
「こんな不思議なこと、印象的なことがあった。
どういう意味かは分からない。しかし人生というものはそういうものなのだ」
とあう定型に纏められるような気がする。
転校生が来たけれど去っていった、
というのは「風の又三郎」のパターンだけど、
これはそのパターン化といってもよい。
(てんぐ探偵第40話「見える友達」は、この定型を使っている)
短編は、落ちがキレている方がいい。
勿論テーマを暗示してもいいが、
「人生とは我々卑小な人間が理解できない不思議なものである」
という落ちにしても構わない。
あるいは、バッドエンドにして、
人間や社会風刺をするのもキレ落ちだと思う。
「世にも奇妙な物語」や、星新一のショートショートの多くは、
そういうキレ方をしていると思う。
これらのキレ落ちは、
逆に長編には通じない。
例えば未解決エンド。
「ゾディアック」「殺人の追憶」は、
本当にキレが悪くてイライラする。
「エヴァ」(旧版)も同じくだ。
僕はこれらを認めていないことは度々書いている。
不条理極まりない「マルホランドドライブ」についても同様だ。
「二度と会えなかった」エンド。
「天国の口、終わりの楽園」はそのようなエンドだが、
長さに対してその終わりは、テーマが確定しなくてモヤモヤする。
あと30分短ければ、短編のキレ的な落ちの快感があったかも知れないが。
「スタンドバイミー」「少年時代」は、
どちらもこのエンドだが、
前者は90分というコンパクトな尺で、短編のキレ落的だと思う。
後者は117分のため長いが、
日本映画に稀有な映像美のせいで、一編の短編の気品がある。
井上陽水の名曲や、リアルにSLを走らせたのも相まって、
何もかもがどうでもよくなるラストで、
キレた落ちだと思う。
短編には短編なりの落ち方がある。長編の落ちはコンパクトにすれば使える。
長編には長編なりの落ち方がある。短編の落ちは使いにくい。
その違いを研究し、知り、使いこなすと、
両方書けるようになる。
どちらも書けるのが理想だけど、
短編に特化しないほうが応用が効くと思う。
2015年08月27日
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