2015年08月29日

ダメなテンプレ、追記

海へ行くダメなテンプレで、
重大なことを書き漏らしていたので、追記。

ロードムービーは、
一見状況が動いているように見えて、
たいして話が進展していないことに、
作者本人が気づいていない、という危険だ。


ロードムービーは、「移動感覚」を楽しむムービーだといってもよい。
旅することを人生に見立て、
しかもムービーのちょうどいいスケール、
車での移動をメインにしたムービーのことである。
(東海道中膝栗毛も、ロードムービーだし、
ストレイトストーリーのようなトラクターによるロードムービーもある。
しかし以下ではロードムービーを車に絞って話をシンプルにする)

さて、
これはなんとなく、
景色が変わって行くことが、ストーリーの進展だと、
作者が誤解しがちな危険性を秘めている。

キスからおっぱいにいき、挿入するという移動は、
実はストーリーの進展ではない。
「セックスをする」という進展の部分集合であり、
セックスの最中はそれ以上のストーリーは進展しない。
だから、
昔の映画では、キスしたら暗転し、
フェードアウトフェードインで、次の朝になっていた。
事前と事後を即繋ぎして、
事後以降のストーリーの進展に焦点を合わせる為である。


ロードムービーの移動は、
セックスの事後以降の進展をしなければならないのに、
いつまでもおっぱいやへそや背中に意識が移動することに、
陥りがちである。

ストーリーの進展の中で、車移動があるのに、
車移動がストーリーになってしまうのだ。
車移動は手段であるのに、目的になってしまうのである。

その混同が、
ロードムービーを詰まらないものにする。

観客はすっかり退屈しているのに、
作者だけが、移り行く景色に興奮して、
ストーリーが進展していると錯覚するのである。


車移動の魅力に対して抗えていないのだ。
理想は、車移動がなくとも話が進展する話を作ることだ。
その実力がないからこそ、
車移動で話を進めている気になっている間違いに、
気づかないのである。


ロードムービーは、初心者は手を出すべきではない。
大抵、間違えておしまいだ。

そもそもロードムービーとは、
スタジオに篭ってセット撮影しかしなかった、
ハリウッドの古い習慣をぶち破る為に作ったのだ。
その為に車移動をする必然性を詰めまくったのである。

性の対象の女子高生と密室で二人きりになりたい、
という欲望を叶えるのとは志の次元が違うのだよ。
それは、結果にまともに現れる。
ひょんなことから女子高生と海へ行くことになるロードムービーに、傑作なんてあるわけがない。
posted by おおおかとしひこ at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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