海へ行くダメなテンプレで、
重大なことを書き漏らしていたので、追記。
ロードムービーは、
一見状況が動いているように見えて、
たいして話が進展していないことに、
作者本人が気づいていない、という危険だ。
ロードムービーは、「移動感覚」を楽しむムービーだといってもよい。
旅することを人生に見立て、
しかもムービーのちょうどいいスケール、
車での移動をメインにしたムービーのことである。
(東海道中膝栗毛も、ロードムービーだし、
ストレイトストーリーのようなトラクターによるロードムービーもある。
しかし以下ではロードムービーを車に絞って話をシンプルにする)
さて、
これはなんとなく、
景色が変わって行くことが、ストーリーの進展だと、
作者が誤解しがちな危険性を秘めている。
キスからおっぱいにいき、挿入するという移動は、
実はストーリーの進展ではない。
「セックスをする」という進展の部分集合であり、
セックスの最中はそれ以上のストーリーは進展しない。
だから、
昔の映画では、キスしたら暗転し、
フェードアウトフェードインで、次の朝になっていた。
事前と事後を即繋ぎして、
事後以降のストーリーの進展に焦点を合わせる為である。
ロードムービーの移動は、
セックスの事後以降の進展をしなければならないのに、
いつまでもおっぱいやへそや背中に意識が移動することに、
陥りがちである。
ストーリーの進展の中で、車移動があるのに、
車移動がストーリーになってしまうのだ。
車移動は手段であるのに、目的になってしまうのである。
その混同が、
ロードムービーを詰まらないものにする。
観客はすっかり退屈しているのに、
作者だけが、移り行く景色に興奮して、
ストーリーが進展していると錯覚するのである。
車移動の魅力に対して抗えていないのだ。
理想は、車移動がなくとも話が進展する話を作ることだ。
その実力がないからこそ、
車移動で話を進めている気になっている間違いに、
気づかないのである。
ロードムービーは、初心者は手を出すべきではない。
大抵、間違えておしまいだ。
そもそもロードムービーとは、
スタジオに篭ってセット撮影しかしなかった、
ハリウッドの古い習慣をぶち破る為に作ったのだ。
その為に車移動をする必然性を詰めまくったのである。
性の対象の女子高生と密室で二人きりになりたい、
という欲望を叶えるのとは志の次元が違うのだよ。
それは、結果にまともに現れる。
ひょんなことから女子高生と海へ行くことになるロードムービーに、傑作なんてあるわけがない。
2015年08月29日
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