2015年08月31日

「言えば伝わる」と思うのは、表現が何も分かっていない

ここにこう書いてあるから、
これを言ったことであるし、
既に伝えたのだから、
それを理解しないほうが悪い、
なんて思うやつは、表現の素人である。

表現とは、論文や数式や法律の条文や注意書きではない。

それが、
最後まで興味を持たれて、進んで最後の瞬間まで見守るかどうか、
について、あなたはどの程度自覚的だろうか。



下手な人ほど、
ここに書いてあった、と言い訳する。
そんな言い訳はない。

観客である我々の記憶になければ、
それは意味がない。
表現者の敗けだ。


一番大事な原則をおしえよう。

ひとつの表現で記憶に残るのは、たった一つしかない。
それ以外は、そのたった一つに関連するものだけが記憶に残る。


その一つを、何にしてもよい。
主人公の仕草、世界観、途中のギャグ、とあるシチュエーション、
とある理屈、とある場面。

僕は、そのたった一つは、
結論であるべきだと思っている。

すなわちテーマだ。




殆どの下手な人は、
そのたった一つに絞ることが出来ない。
三つも四つも言いたいことがあって、
優劣を決められない。
決められないし、一つだけ残してあとを捨てられない。

二つ残すのは禁止。三つも禁止。
優先順位も禁止。

一つだけだ。

物語の全ては、ラストの為にある。
そこでテーマが確定し、
結論が出る。
そこがもっとも大事なところで、
それ以外が大事なのなら、
最早物語という形式をとらないほうがいいんじゃないかとすら、思う。




最近のCMは、たった一つの大事なことを伝える、
という一番大事なことを忘れている。

何億も払うのだから、
あれもこれも言いたいなどと、
貧乏性だ。

何億も払うのだからこそ、
たった一つに決めるべきなのだ。



おっぱい揉みたいとか、こういうデートがしたいとか、
僕と付き合ったらこういうメリットがありますとか、
ずっと一緒にいたいとか、
いろんなことを言うのは、下手なラブレターだ。
好きだ、とたった一つに絞るのが、
上手いラブレターだ。
すべてのディテールがここに集約されている構造が、
正しいラブレターだ。

ラブレターを何通も書いてみるのは、
たった一つに絞る訓練に丁度いいかもね。
posted by おおおかとしひこ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック