僕個人の感覚だけれど。
芸術は、すべからく美しくなくてはならないと思っている。
美しいとはこういうことだ、
という作者の考えの披露の場だと思っている。
たった一つの伝えるべきことは、
美しくなくてはならない。
美しいというのは、ビジュアル以外にも拡張して考えている。
あたたかい、やさしい、好ましい、力強い、
希望的、賢い、なるほどという感情、信頼感、
折り目正しい、きりっとしている、いいかんじ、
などなどに拡張出来ると考えている。
それは美意識である。
何を美しいと思うか、だ。
台詞は美しいか。
行動は美しいか。
考え方は美しいか。
場面は美しいか。
人生は美しいか。
テーマは美しいか。
話は美しいか。構造は美しいか。
醜くて汚くても美しいということもある。
世間一般の美しさの先入観に惑わされてはいけない。
あなたは、美しさという概念の更新者であるべきだ。
それが芸術をつくるという行為だと僕は思う。
面白い話にはそれがある。
端正な美意識なるものが。
こればっかりは感覚的なものなので、技術じゃ身につかない。
教養とか感性とか心の豊かさとか人生経験だ。
幼少の頃にクラシックを聴いて紅茶を飲めば身につくものでもない。
エンブレムが、改訂前のデザインすら、
巨匠のT.をパクっていたという。ダメだこりゃ。
金黒の二色のストイックさに、
赤と銀を足すのが美しくない。
芸術とは、たった一つの「考え方」のことである。
難しい言葉(誤りやすく騙しやすい言葉)でコンセプトという。
三つのTという考え方が、デザインから伝わってこない。
だから美しくない。
デザインは、頭がいい人でないと出来ないと思う。
考え方の美しさを競うからである。
ジョブスは、考え方が美しかったから、マックは美しくなったのだ。
エンブレムは、しかもパクっている態度が美しくない。
配色のセンスも美しくない。三つのTなら、三色配色でしょ。
他山の石とせよ。
2015年08月31日
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