ストーリーは一人だけの登場人物を描くことは難しい。
人間がひとりでに変化することはない。
必ず誰かとなにかをして、その結果変化する。
つまり、相互作用をする。
ストーリーとは全ての人物が変化すること。
つまり、主人公も相手も変化する。
すなわち相互作用による相互変化を書くのが、ストーリーだ。
簡単のために、登場人物を、AB二人に絞る。
相互作用による相互変化の例は、
たとえば、
「喧嘩したが仲直りする」である。
たいてい、相手に思っている誤解があって、
それが喧嘩によって表面化し、
その誤解を修正し、
お互いが変化することで、より強い関係になる。
(雨降って地固まるパターン)
ABともに、始点(誤解)があり、
終点(誤解がとけてより強い絆になる)がある。
それらは、会話や行動によって、
相互作用することで起こる。
具体的には言い合いとか掴み合いとか部屋を出ていくとかだ。
たとえば、
「冷蔵庫のプリンを彼女が勝手に食べてしまって喧嘩する」
場合を考えよう。
彼氏が彼女を一方的に怒り、彼女が謝るのは、ストーリーではない。
彼女は傲慢から殊勝へと内面が変化するが、
彼氏は内面の変化はないからだ。
怒った→許すは、一見変化に見えるが、
内面的価値の変化が起こっていない。
彼氏の「プリンこそ至高であり何人たりともこの聖域は犯されぬ」は、
何も変化していないからである。
彼の主張が通っただけで、
彼の中身は変化していない。
外面的な、感情や態度が変化しただけで、
内面の主張(哲学)は変化していない。
これはストーリーではなく、時系列の記録に過ぎない。
日記レベルである。
これがストーリーたるためには、
彼の内面が変化しなければならない。
たとえば、
「これからはプリンを半分こしよう」と、
プリン至高から、彼女と至高のプリンを分け合う、
という考え方に変化する終点を考えよう。
これがリアリティーあるように、前段を組めばいい。
ただ勝手に食べられて、喧嘩して、謝って、
次からは半分な、なんてのは嘘っぽい。
たとえば、
彼女が彼を愛していることに気づくならば、
至高のプリンを彼女と半分こすることへのきっかけになる。
彼女は彼に愛されてるのか不満で、
彼の一番大事なものを奪うことで、
自分に気づいてほしかった、
そういう可愛い理由だとすれば、
ただプリン食いたいから勝手に食ったという設定よりも、
遥かに「俺が悪かった、次からは半分こしよう」という変化へと持っていける。
ここまで出来ればあとは細部を詰めていくだけのことだ。
ストーリーとは骨格だ、と僕がよく言うのは、
このようなざっくりした形でも既に説得力が生まれていなければならない、
ということを言っている。
さて、ようやく本題のストーリーライン。
この場合は登場人物が二人だったが、
短編ならいざ知らず、長編では、メインは少なくとも5、6人だ。
(経験則。3人でもすくない)
つまり、これらの人物が相互作用し、
その結果相互変化し、
それらがまた別の人物に相互作用し、
その結果相互変化し、
それらが…
という、玉突き、あるいは同時相互変化が起こりうるのが、
一般的なストーリーだ。
このとき、一つの相互作用(とその結果としての相互変化)を、
一本のストーリーラインという。
AとBのストーリーライン、という言い方をすることもあるし、
AとCにも相互作用、すなわちストーリーラインがある場合、
Aから見て、Bのストーリーライン、Cのストーリーライン、
という言い方をする。(特に定義はない)
プリンのカップルの話で言えば、
仕事でトラブっているストーリーラインもあれば、
彼女との同棲生活というストーリーラインもある、
というのが普通だ。
(短編とは、そのうち一本だけストーリーラインを取り出したもの、
とも定義できる)
ストーリーライン同士も、相互作用する。
たとえば彼女とプリンを半分こしたあと、
仕事でも強硬な主張から、利益を折半しようという結果に結びつく、
などである。
例が陳腐で申し訳ないが、
それのもっときちんとしたものは、
たとえば「プリティウーマン」に見ることができる。
逆に、相互作用しないストーリーラインは、
存在の意味がない。
ストーリーとは、相互作用と相互変化のことだからだ。
(僕がノーラン映画を批判するのも、まさにこの一点で、
ストーリーライン同士が相互作用しあわず、
バラバラの映画を同時進行で見ている気になるからだ)
ストーリーとは、複数のストーリーラインで組み立てられる。
全てに始点と終点があり、
全ての人物が相互作用し、相互変化する。
そして、ストーリーライン同士も、相互作用し、相互変化する。
それがストーリーの構造だ。
三幕構成などのいわゆる構成は、
あくまで、
時間軸にこれをどう並べると分かりやすいかという経験則の集合に過ぎない。
時間順に何を並べるかなんて、
ストーリーライン同士の相互作用、
人物同士の相互変化という、
話の構造を作ってから考えることである。
(僕はずぶの初心者に構成を教えるのは、
危険だと考えるようになった。
構成を知って、ストーリーを知った気になる危険が大きい。
それよりも、この記事で書いたことが大事なような気がする)
2015年09月04日
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有難うございます。
趣味で長編映画用のボーイミーツガール物を書いているのですが挫折しています。
三幕構成で、ここで主人公が男の子に会って第一ターニングポイントがこうでとか考えても、実際に書きだしてみると筆が止まります。
“ストーリーライン同士の相互作用、人物同士の相互変化という、話の構造を作ってから考えること”
とあるように、主人公の親友やクラスメイトやいじめっ子などとの相互作用をしっかり考えてみようと思いました。
僕らの世代でボーイミーツガールといえば、
レオス・カラックスの三部作、
「ボーイミーツガール」「汚れた血」「ポンヌフの恋人」ですねえ。
大人のフランス映画の感じが堪らなかった。
特に汚れた血のジュリエットビノシュが最高。
変化球でオススメは、「マイライフアズアドッグ」かな。
ところで、ボーイミーツガールものは、
「女子高生と海へ行く」テンプレに陥りがちなので要注意物件です。
たいてい、どうにもならないボーイの人生を、
積極的なガールが扉を開くパターンになりがち。
「うる星やつら」や「ラピュタ」の冒頭は、
まさにそんな感じのボーイミーツガールだと言えます。
この二作が凡庸に埋もれず傑出しているのは、
出会ったあとからの展開のほうが面白いからです。
ストーリーラインの相互作用、相互変化を考えると、
何か思いつくかもです。
出会う前は何をしていたのかを考えてバックストーリーに盛り込み、その決着を出会ったあとの冒険に使うのは、
最もあり得るパターンでしょう。
余談ですが、三幕構成は、ゼロから話を考えるときよりも、
全部出揃って俯瞰出来るときに、
はじめて使える道具のような気がします。
ライト時よりリライト時に力を発揮するというか。
レオス・カラックスの三部作、「マイライフアズアドッグ」を見てみます。
「出自を隠している女子高生が、転校して来た同じ様な出自だがいじめられても隠さない男子高生に出会い……」という話なので、
“もっともっと出会ったあとからの展開”が面白くなるように“相互作用、相互変化”“出会う前は何をしていたのか”を考えてエピソードを書き出してみようと思います。
でも、それがなかなか思い付かないのですが……
そういったアイデアが出揃ってから三幕構成を考えるといいということでしょうか?
出揃ったかどうかを判断するのが、
経験によるところなので、
実はそこが難しいのです。
沢山映画を見てあらすじを分解すれば、
大体の量の見当はつくけど、
結局やるのは自分なので。
初めて自炊するときに、買うべき食材の量に見当がつかないことと同じです。
しかも、レシピがないものをつくるわけです。
思いつくかつかないかも、慣れです。
何から何に変化するのか?
それはなぜ、どうして、リアリティーは、など、
そういうことを詰めていくと、
おかしな所や物足りない所や、いらない所に気づくと思います。
そもそもクライマックスはなにか、
この話は全体で何を言ったことになるのか、
何を言うべきなのか、
だとすると逆算で序盤ですることは、
などを考えると、一三幕が整います。
その間でどんな面白いことが起こるのかが二幕です。
紆余曲折の面白さを考えるといいと思います。
これも適切な量を用意することが難しいので、
慣れるしかありません。
自炊経験があれば、適切な量を用意するまでかかった回数を思い出してください。
脚本を書くのも、大体同じ回数かかることを覚悟してください。
最初はだれでも失敗して、時間がかかり、微妙な味になる覚悟で。
エピソードやアイデアを考えては、脚本に書き込み、
足らなかったりリアリティーがなかったりすれば、また考えてと、何度も何度もトライしてみます。
大変ですが……
ありがとうございました。
これからもこのブログで勉強させてください。