2015年09月07日

続編と映画単品は異なる(T5批評2)

続編として絶賛したT5だが、
映画単品としては微妙なところだ。
仮にこれがT3として公開されたとしたら、
やはり不満たらたらだったような気がする。
それくらい、T12は神作品で、
それをどのようにとらえ、どのように越えるかを考えなければならない。

続編は、続編でありながら、
単品として前作を越えなければならない。

ではターミネーターとして越えるべきものは何か。
敵の凄さである。

(以下ネタバレ)


T1の最大のウリは、不気味なターミネーターが追っかけてくることだった。

不気味な敵に理由なく追いかけられる、
先行作品はたくさんある(例「激突!」)が、
そのなかでもターミネーターが傑出していたのは、
「未来から暗殺しに来たロボット」という点だった。
ロボットゆえ、無言で、感情がなく、
任務遂行だけを考えて、
走るよりむしろ淡々と歩いて確実に詰めてくる。

「一見人間に見えるけど、あいつはロボットなんだよ!」という恐怖。
この不気味さがターミネーターの本質だ。

それにシュワという、
「肉体が凄まじく棒演技」という最適なキャスティングを行ったことが、
作品の成功だ。

短髪のツンツンヘア(80年代なのでテクノ気味に刈り上げ)、
大きめのサングラス(同じく80年代で言えばトムキャットだろうか)、
革ジャンにショットガン、ハーレーという出で立ちは、
同時代のイコンになり、
中身の銀色のガイコツとともに、イコンとなる。
(未来が銀色というのは、この映画が決定付けたと僕は思う)

T2は、そのターミネーターが味方という衝撃と、
ターミネーターを越えるターミネーター、
液体金属T1000という敵キャラの魅力が凄まじい。

つまり、T2は、
「不気味な敵に追われる」というターミネーターのスタイルを継承しつつ、
前作のイコンを味方に持ってきて、
なおかつ前作のイコンを越えるイコンを作り上げたのだ。
(例えばバーチャのデュラルなど、
パクりキャラは無限にあるだろう)


T3以降のターミネーターが話にならないのは、
「敵」が、ターミネーターにも液体金属にも劣るイコンにしかならなかったことだ。
ターミネーターを女にする、
という外し方のアイデアは面白かったが、
T12のインフレから来る期待値を大きく下回った。
T4はもはや何が敵だっけ。

T5の敵をまさかのジョン・コナーという所までは上出来だ。
しかし、その先のビジュアルが、
T12で初登場したような、物凄い衝撃がなかったのが残念だ。
ハムナプトラ、サンドマンその他で見たやつだもんね。
(同じことはスパイダーマン3のヴェノムにも言えて、
ゴムの黒とはいえ、既に我々は液体金属の敵を見てしまっているからね)

もしここに、我々の見たこともないCGなのか別の技術なのかで、
「全く新しい敵」になっていれば、
この作品は真の続編かつ単品としても素晴らしい敵になっていただろう。

実はターミネーター化したサンドマンジョン・コナーよりも、
スカイネットの、
どこにでもコピペされる人格(かつ成長していく)、
というビジュアルの方が新しいと僕は思った。
今まで姿を見せなかったスカイネットが、
擬人化されたことの方に魅力を感じた。

例えばマトリックスにおいての、マシンたちが、
イカ以外に擬人化出来ず、デウスエクスマキナみたいな
「よくわからないもの」になってしまったのに対し、
今回の擬人化は、「対話可能かつ本体がない」という、
コピペされる幽霊みたいな、新しいイコンを産み出したと思った。
(でも他の作品にもありそうだが)

あらゆるところに仕掛けられ、監視社会の象徴となった、
監視カメラからホログラムとして出てくる、
というのもなかなかムカつくではないか。


さて、T5には、三人の敵がいた。
韓国人液体金属T1000、サンドマンジョン・コナー、
コピペゴーストスカイネット。
一体は使い回し、一体は既視感、一体は現代的嫌悪。
二体目がT1000初登場のようなビジュアルアイデアがあれば、
この作品は傑作になっていた可能性がある。
スピーカーから取り出した磁石しか伏線がないのも、
なんだか物足りない。
液体金属を溶鉱炉に溶かすぐらいのインパクトが欲しかった。
(天井から硫酸?のシャワーは良かったのにね)
MRIがかなり良かっただけに残念だ。

タイムマシンをラストステージにしたい気持ちはとても分かるが、
それがMRIと似た原理であるかどうか、
我々は直感的に理解出来ないのが問題だと思う。
せめて、「電子レンジの化け物のようなもの」みたいな、
我々の日常から類推出来る表現があれば、
気持ちが接続しやすかったと考える。

溶鉱炉もMRIも、我々の日常にあるから、面白いのだ。
見たこともないタイムマシンは、凄いけど、面白くないのである。
我々の頭のなかにモデルが出来ないからだ。
それを出来るように、電子レンジにたとえてしまえば良かったのだ。
そうすれば、MRIで倒したときのさらに面白い表現になったかも知れない。
例えば電子レンジに生卵を入れて爆発させる、
みたいなことを80年代で伏線に出来たかもだ。


さて、サンドマンだったとしても、
これだけ改良の余地はある。

しかしながら、サンドマン以上の何かが、足りない。
これが、この作品が、単発として弱い証拠だ。

「あらゆる武器が体に仕込まれている女ターミネーター!」と、
大差ないアイデアにしかならなかったね。

その意味で、映画はプロレスだ。
プロレスといっても、昭和プロレスなのだ。

強大な敵を考え、その倒し方を面白くすること。
これは、映画に課せられた絶対条件である。
特に、ターミネーター12は、それが面白かった映画だ。

それを踏襲するならば、それを越えなければならない。

踏襲しないぞ、と意気込んだT4は、
ただのディストピア映画にしかならず、
未来戦争世界をマトリックスほどには魅力的に描けなかった。
この時点で未来戦争世界を語り直す選択肢は消えた。
従って、未来でない現代を舞台にするしかない。

サラの子供時代へガーディアンを送り、
審判の日がずれる時系列というアイデアが秀逸で、
この作品は、逆にそれに溺れたとも言える。

脚本家チームは凄い仕事をした。
しかし、監督特撮チームが、サンドマンという平凡なものを持ってきてしまったのが、
前作ごえを果たせなかった。

いつも僕はガワだけで中身のない作品を批判しているが、
T5は真逆だ。
中身が圧倒的に良いのに、ガワが物足りないのだ。
もっとガワを足せ!




そういえば。
Xメンフューチャー&パストも、
時系列をいじくって、悲劇の過去がなかったことにする、
という話だったね。
それを踏襲した「みんな、エスパーだよ!」の、
浅岡さん死後の展開もそうだった。
(なかなか考えたな、という接ぎ木のアイデアだったけど、
思ったより盛り上がらなかったね。インコちんこで精一杯だったか。
元々単なる下ネタ漫画に、シリアスを求めたのが間違いか)

タイムスリップによる、
時系列改変で悲劇を回避、というのは流行りなのかも知れない。
(じゃあヒトラー暗殺というタイムスリップものは作れんじゃね?)

「タイムマシン」で妻を救えなかったり、
「バタフライエフェクト」で彼女を救えるが出会えない未来を選んだりする、
「悲劇は避けられない運命である」という考え方のほうが、
僕の好みなので、
アメリカ人は陽気だなあ、と思うしかないが。


さて、確か、
スカイネットが何度過去に戻ってジョン・コナーを暗殺したとしても、
別の人間がジョン・コナーになってしまう、
というような設定があったはずだ。
だから母親を殺すことにしたのだと。
映画内で言及されたか、シリーズ化のときのあとづけかは不明だが、
それが今後効いてきたら、分かってるな、とニヤリとしたいものである。
posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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