佐野の原案は分かったよ。
それに修正するのが常識というのが分からないが、
まあ仕事だから飲むとしよう。
全然わからないのはさ、
「躍動感がないと突っ込まれて修正」だよ。
Tという左右対称にもともと躍動感はないだろ。
安定感だろあるのは。
躍動感は必要ないだろ。
三つのTと日の丸がデザインの意図(意味)であり、
そこには躍動はないんだから。
小文字のtには躍動感はちょっとある。
でもTokyoのTだから小文字にはできねえだろ。
躍動感がないとダメなら、このデザインは、
意味ごと予選落ちだろ。
つまりね。
「そもそも躍動感と真逆のコンセプトに、
躍動感を混ぜることを要求する」ことがおかしいの。
多くの原作つき実写化が失敗する理由がこれなの。
原作のコンセプトに元々ないものを足すから、
最終形がおかしなことになっていくわけ。
デザイナーに直接言えば、いや躍動感なんてそもそも入ってないですから、
となって、ああそうか、コンセプトが違うもんな、と当事者同士で和解可能だ。
問題は、間に人が入っていることだ。
間に入った人が、
躍動感はそもそも入ってないということを上に説明できず、
躍動感を入れろと言う指示だけをデザイナーに返してくることだ。
そもそも躍動感は入ってないですからと、
デザイナーが間の人が言い返しても、
もう躍動感を入れることは決まったことですから、
と躍動感を入れることがマストで話が進むことなのだ。
こうやって、間の人がいることが、
今の日本のシステムの最大のガンなんだよ!
だったら、デザインする前に、
三つのTと日の丸を、躍動感溢れるようにデザインしてください、
と、頼むべきなの。
躍動感がない意味のものをそもそも作ったのに、
そのガワだけ残して、意味を変えるから間違いなの。
躍動感が必要なら別のコンセプトに変える。
このコンセプトが買いなら、躍動感は捨てる。
そのどちらも選べないから、折衷案になって、
訳のわからないキメラが出来るわけよ。
間の人がいることによって。
だから何一つ伝わらない。
表現はコミュニケーションです。
八方美人や幕の内弁当は、表現じゃない。
嫌われようが叩かれようが、
伝えたいひとつのことを伝えるのが表現です。
そもそもそれを伝えるべきなのか、
その表現としてマックス出来がいいのかを問うべきです。
三つのTと日の丸を伝えるのなら、
日の丸の中に三つのTを配置したって構わんのです。
問題は、そもそも三つのTが、ダサイことなんです。
原案の佐野デザインのお買い上げポイントは、
シンプルなパーツからなる展開性でしょ?
三つのTとか日の丸とかの意味じゃないじゃん。
じゃ、△と○と□で、別の意味を考えるデザインを作れば良かったんだよ。
どうしてそっちにいかないのかね。
ガワしか見ないで意味を見れないからだよね。
戦犯は誰だ?
デザインの意図も把握せず、上からの指示を下に投げてキメラを生む、
五輪委員会なんじゃねえのか?
2015年09月08日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック