2015年09月09日

脚本的でないものを、脚本的だと勘違いするリストまとめ

とりあえずまとめてみた。


1. 動かないもの、変化のないものは脚本ではない。
 写真、シチュエーション、彫像、動かない状況、葛藤は、脚本ではない。
 外面的状況、内面的状況、双方が変化する事が理想である。

2. 楽譜的でないものは、脚本ではない。
 リアルタイム進行に、文字数が(おおむね)比例するものが脚本だ。
 進行が途中で止まって思考が飛ぶものや、省略の妙は、脚本ではない。

3. 一人称、二人称は脚本ではない。
 三人称が脚本である。彼、彼女、彼らの話が脚本であり、
 わたしやあなたが出てきてはいけない。一人たりともだ。

4. 出来事の記録は、脚本ではない。
 感情移入、扇情によって、脚本は現実が強調、省略されている。
 したがって、自動的に脚本には、起伏が出来る。

5. テーマを言うものは脚本ではない。
 脚本とは、テーマを言わずに暗示するものである。
 演説や論文は最後にそれを言うが、ストーリーとは、言わない事で表現するジャンルだ。

6. 問題と解決のないものは、脚本ではない。
 何も問題がないのなら、もめごとも変化もない。動機も目的も生まれない。
 基本的には解決に向かって話は進む。
 解決に至るまでの、紆余曲折こそが、外面的ストーリーである。

7. 動機、目的のない人物、変化のない人物は、脚本から外せ。
 それは、価値のない登場人物だ。脇役、端役は、そういう人物でもよい。

8. テーマに関して、美しい構造であるべきだ。
 無駄や不足があるのなら、それは未完成な脚本である。


もしあなたや他の人が、
違うものを脚本だと勘違いすることがあるのなら、
厳しくその勘違いを糾弾すべきである。
「ド素人は黙ってろ!」と殴っても良い。
なぜなら、無知は罪だからだ。

無知には、教えろ。
知らなすぎる奴とは、仕事をしないほうがあなたは幸せだ。
無知を騙してデビューしたいのなら、ガワで騙せ。
佐野のように。
posted by おおおかとしひこ at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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