とりあえずまとめてみた。
1. 動かないもの、変化のないものは脚本ではない。
写真、シチュエーション、彫像、動かない状況、葛藤は、脚本ではない。
外面的状況、内面的状況、双方が変化する事が理想である。
2. 楽譜的でないものは、脚本ではない。
リアルタイム進行に、文字数が(おおむね)比例するものが脚本だ。
進行が途中で止まって思考が飛ぶものや、省略の妙は、脚本ではない。
3. 一人称、二人称は脚本ではない。
三人称が脚本である。彼、彼女、彼らの話が脚本であり、
わたしやあなたが出てきてはいけない。一人たりともだ。
4. 出来事の記録は、脚本ではない。
感情移入、扇情によって、脚本は現実が強調、省略されている。
したがって、自動的に脚本には、起伏が出来る。
5. テーマを言うものは脚本ではない。
脚本とは、テーマを言わずに暗示するものである。
演説や論文は最後にそれを言うが、ストーリーとは、言わない事で表現するジャンルだ。
6. 問題と解決のないものは、脚本ではない。
何も問題がないのなら、もめごとも変化もない。動機も目的も生まれない。
基本的には解決に向かって話は進む。
解決に至るまでの、紆余曲折こそが、外面的ストーリーである。
7. 動機、目的のない人物、変化のない人物は、脚本から外せ。
それは、価値のない登場人物だ。脇役、端役は、そういう人物でもよい。
8. テーマに関して、美しい構造であるべきだ。
無駄や不足があるのなら、それは未完成な脚本である。
もしあなたや他の人が、
違うものを脚本だと勘違いすることがあるのなら、
厳しくその勘違いを糾弾すべきである。
「ド素人は黙ってろ!」と殴っても良い。
なぜなら、無知は罪だからだ。
無知には、教えろ。
知らなすぎる奴とは、仕事をしないほうがあなたは幸せだ。
無知を騙してデビューしたいのなら、ガワで騙せ。
佐野のように。
2015年09月09日
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