2015年09月10日

それが受け入れられるかどうかの境目は、テーマ

なぜその作品が名作として、世の中に認められるのだろう。
なぜその作品が名作として、後世に受け継がれるのだろう。
なぜその作品が名作として、売れるのだろう。
(今売れるのは名作ではなく、マスコミが売りやすいものである、
という揶揄はこの際置いておく)

面白くて新しいからだ、というのは最低条件だ。

僕はそれにプラス、テーマ性が関わると思う。


何度かテーマについては深く切り込んでいる。
結果的に、作者の主張に見えるものである。

(主人公が物語を通じて、変化したとき、
その変化になんの意味があったか、ということ。
物語全体の意味。
それは大抵、主人公が物語を通じて学んだことになる。
それは明示されず、暗示的だ。
「○○なのだ!」と宣言しない。言わなくても分かる、
という風な表現となる。
テーマは書いてあるのを探すのではなく、読み取るものである。
主人公の内面の問題は、テーマで語られるものが不足していることからはじめる。
それが内面的に充足されることが、テーマの実現となる。
そうして主人公は永遠の内的変化をするのだ。
その時の主人公の変化の価値が、テーマを意味している。
テーマは大抵「P⇒Q」という命題形式で書かれる。
それが一番物語を通じての結論だから、
結果的に、作者はその為に書き、主張しているのだ、
と読み取られることとなる。
そして、絶対的な真理ではなく、
無意識にそうかもしれないし、そうあってほしい、
そう証明してほしいと思う、微妙な真理を選ぶこと)


つまり、その主張に価値があるかどうかは、
作者ではなく世間が決めることだ。

全く知らない概念の主張は、ぽかんとするだろう。
「第七次元へのアセンションを!」と主張しても、
理解されない新興宗教のようなものだ。
「波動方程式は美しい」と主張しても、
理系以外はぴんと来ず、これまた受け入れられる主張ではない。

既に分かっていることを主張されても、分かっとるわ!となる。
忘れられていた当たり前のことを主張されたら、確かに、となる。

少し新しく、世の中を少し良くしそうなことは、何となくいいかも、と思われる。
そう思う人が増えて、みんながそれを実行すれば世の中が良くなるだろうことは、
受け入れられやすい。
しかしいきなりは不安だから、少しだけいいものが、手が延びやすい。
半歩だけ先の未来を見る、とはそういうことだ。

それはよくわからない芸術ではない。
芸術とは、結局、作者の主張に対しての、
世間のリアクションなのである。

コミュニケーション、といえば聞こえがいいが、
要は投げかけに対して、どう評価するかでしかないのだ。

我々の物凄い苦労の結晶は、
それが面白くないのなら、まず第一関門で落選だ。
面白くて満足したときに限り、
その主張が価値があるかどうか、検討される。

無難でどうでもいいテーマはどうでもいいと思われる。
革新的過ぎるテーマは、カルトを生むが全員はついてこれない。
(ガンダムやヤマトは、最初はカルトだったことを思いだそう。
同世代でない限り信じられないかも知れないが)

本当の名作は、時代の真芯をとらえて、
しかもそれの半歩先のよい未来が見えるものである。
なおかつ、それが古びない、普遍的な主張であることだ。
つまり、新しくて普遍的なことでなければならないのだ。

僕はそれを、世界を更新する、という言い方をすることがある。

バージョンアップとかアップデートとか言う考え方だ。
バージョンアップやアップデートは、
開発側からの押しつけのシステムではない。
皆がその更新を受け入れ、それがよいと感じ、
多くの人が自発的にそう思えるようになってゆくことが、
本当の更新である。

それには、複雑なものは無理だろう。
全員が理解できて保持できるものではない。
シンプルなのが良い、というのは、
強いものほどシンプルな形をしているからだ。

新しくて、強くて、世界を永久に更新するもの。

あなたは、最終的に、
あるいは、次回作に、
あるいは、今取りかかっている作品に、
そのようなテーマを背負わせるべきである。


習作や、駆け出しの頃は、そこまででなくともよい。
斬新であればそれだけで評価される。
あるいは、若手の群れの中で頭ひとつ出ていれば、
それで注目を集めることもあるだろう。
しかしそこから名作をものにするかどうかは、
それとは関係がない。

名作は、テーマが良くなければならない。

逆に、テーマが、シンプルで、強く、
殆どの人が理解でき、感情が揺れ、
凡庸なものでなく、斬新過ぎてついていけないものではなく、
かつ時代を半歩進め、
更新するものを、
名作と呼ぶのではないか。

作者が新興宗教の教祖並に崇められる理由がこれだ。
みんな、誰かに世界を変えてほしいのだ。

あなたは、極端に言えば、
世界をあなたの主張で変えるためにいる。

演説で変えるのが政治家。(実際には内輪の根回しか調整か)
論文と技術開発で変えるのが科学者。
軽妙な文章で変えるのがエッセイスト。
金貸しと口約束で変えるのがユダヤ。
搾取と戦争で変えるのが帝国。
パクりで変えるのがイミテイター。
歌で変えるのが音楽アーチスト。
笑いで変えるのがお笑い。
物語で変えるのが、ストーリーテラー。

あなたは、これらの同列の中で評価される。
この人は、何を主張するのだろうかと。


物語のテーマは、他のストレートな主張に比べ、
間接的で、暗示的で、変化球的だ。
だから表の意識には分かりにくい。
その代わり、意識の裏に浸透する。

映画で洗脳するなんて陰謀論が出る所以だ。
そんなマインドコントロールが出来るほどの実力者だらけなら、
こんな駄作が連発される理由が説明できないわ。


あなたは、結果的に、何を主張するのか?
それは世界を更新するのか?
あなただけの独りよがりの更新か?
世の中がそれを受け入れ、自然に無意識に伝播する更新か?
それは、全て、テーマのことに尽きるのである。


少なくとも、今、メジャーでは、挑戦的なテーマは選ばれない。
無難で炎上しないもの、しか通さない。
通さないから、メジャーは徐々に沈没し始めている。
若者はマイナーから出て、新たなメジャーになるべきである。
(そのメジャーとマイナーの線引きが、難しいんだけどね)



以下余談。

佐野デザインが受け入れられないのは、
その主張がぼんやりしているからだ。
三つのTと心臓とか言われても、それ、今、2020に、東京でやること?
と皆が思うからだ。
つまり、新東京五輪は、テーマがない。

そもそも「復興」だったんじゃねえの?
放射能が怖いからみんな東京で我慢してるんでしょ?
東北五輪に、今からでも変更すれば?
福島を避けて、新会場は、東北五県に五つつくれや。
コンセプトがさ、曖昧なんだよ。
儲けや利益誘導ありきのゼネコン談合のための、
嘘コンセプトがばれてるから炎上してるのに。
屁理屈で覆って反論するから、ずれてると思われるのさ。

戦争は、こうやって起きたんだろうね。
誰かが、皇国日本、大東亜というコンセプトで、
世界を更新したんだよ。だから日本が動いたんだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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