楽譜ということはどういうことかというと、
オンタイムで書かれるということだ。
言葉を変えれば、実況なのだ。
実況をしたことがあるだろうか。
スポーツ実況を、一度やってみるといい。
野球でもサッカーでも格闘技でもいいので、
リアルタイム実況をしてみると、
どれほど物事が一瞬で進み、
言葉を尽くしている時間がないか、
よく分かる。
実況は、知性というより反射だ。
ある種の定型文を用い、使い分けながら、
決めるところでは知性を使う。
ある出来事を語るのに、
その時間より多くを語れないし、
何も起こらない時間では、無駄話をしなければならない。
それがリアルである。
実際の脚本では、その無駄な時間帯をカットする。
何も起こらない時間帯の無駄話を切り、
物事が一瞬で進む、
リアルタイムのヒリヒリだけを繋げて描く。
やっぱり無駄な文字数は入らないから、
効果的な実況とは、
短く、リアルタイムで上手く語る実況だ。
小説は、こうではない。
スポーツ中継に例えれば、
スローのリプレイを入れてもいいし、
解説者が解説をしてもいいし、
アルプススタンドにカメラを切り替えてもいいし、
そもそも中継をストップしたまま、
延々と話をしてもいい。
そもそも、中継(リアルタイムの現在形)ではない。
過去の試合である(過去形)。
つまり、スポーツニュースなのかも知れない。
しかも、試合中継時間よりも、一般に数倍長い分量である。
脚本から見れば、
小説は、起こった出来事の後出しに見える。
多角的で、重層的で、たっぷり語れ、整理でき、
知性の練り込んだことが出来、
時間軸を止めたり巻き戻したり変えていい。
第三者の解説も可能だ。
逆に小説から見れば、
ぼーっとしてたら置いてかれて、
すぐに台無しになってしまうものに見える。
砂かぶりの席から動けず、コンパクトに遅れないようにするものに見える。
出来れば多元中継でカメラを切り替えられるが、
一番オイシイところは、リアルタイムで目撃しなければならない。
極論する。
脚本は、ナマモノの実況。
小説は、過去の研究。
それぞれが、それぞれの要素を取り込むことは、勿論ある。
しかしそれぞれが力を発揮するところが、
全く違うことは確かだ。
これをストーリーだからという理由で、
同じジャンルに入れることが、
そもそも間違いだ。
脚本に近い小説は脚本化可能だし、
小説に近い脚本は小説化可能かも知れないが、
脚本らしい脚本、
小説らしい小説には、
決してならないだろう。
2015年09月10日
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