2015年09月10日

楽譜の話2

楽譜ということはどういうことかというと、
オンタイムで書かれるということだ。
言葉を変えれば、実況なのだ。


実況をしたことがあるだろうか。
スポーツ実況を、一度やってみるといい。
野球でもサッカーでも格闘技でもいいので、
リアルタイム実況をしてみると、
どれほど物事が一瞬で進み、
言葉を尽くしている時間がないか、
よく分かる。

実況は、知性というより反射だ。
ある種の定型文を用い、使い分けながら、
決めるところでは知性を使う。

ある出来事を語るのに、
その時間より多くを語れないし、
何も起こらない時間では、無駄話をしなければならない。

それがリアルである。

実際の脚本では、その無駄な時間帯をカットする。
何も起こらない時間帯の無駄話を切り、
物事が一瞬で進む、
リアルタイムのヒリヒリだけを繋げて描く。
やっぱり無駄な文字数は入らないから、
効果的な実況とは、
短く、リアルタイムで上手く語る実況だ。


小説は、こうではない。

スポーツ中継に例えれば、
スローのリプレイを入れてもいいし、
解説者が解説をしてもいいし、
アルプススタンドにカメラを切り替えてもいいし、
そもそも中継をストップしたまま、
延々と話をしてもいい。
そもそも、中継(リアルタイムの現在形)ではない。
過去の試合である(過去形)。
つまり、スポーツニュースなのかも知れない。
しかも、試合中継時間よりも、一般に数倍長い分量である。


脚本から見れば、
小説は、起こった出来事の後出しに見える。
多角的で、重層的で、たっぷり語れ、整理でき、
知性の練り込んだことが出来、
時間軸を止めたり巻き戻したり変えていい。
第三者の解説も可能だ。

逆に小説から見れば、
ぼーっとしてたら置いてかれて、
すぐに台無しになってしまうものに見える。
砂かぶりの席から動けず、コンパクトに遅れないようにするものに見える。
出来れば多元中継でカメラを切り替えられるが、
一番オイシイところは、リアルタイムで目撃しなければならない。


極論する。
脚本は、ナマモノの実況。
小説は、過去の研究。

それぞれが、それぞれの要素を取り込むことは、勿論ある。
しかしそれぞれが力を発揮するところが、
全く違うことは確かだ。


これをストーリーだからという理由で、
同じジャンルに入れることが、
そもそも間違いだ。
脚本に近い小説は脚本化可能だし、
小説に近い脚本は小説化可能かも知れないが、
脚本らしい脚本、
小説らしい小説には、
決してならないだろう。
posted by おおおかとしひこ at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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