みんな薄々気づいている。
そこそこ売れた原作と、売れてる芸能人を組み合わせて、
その芸能人のプロモーションにはなるけれど、
「本当に面白かった映画」にならず、
失望し続けていることに。
現状の映画の楽しみ方が、何かとの答えあわせでしかなく、
人生に影響したり、爆発的に感情が揺れるような、
傑作を楽しむものでないことに。
女子供は騙せたかも知れない。
だがそれもそろそろばれてねえか、ということに。
どうしてオリジナルで、見たこともない、
面白い映画が作られないのだろう?
脚本家や監督の才能の問題なのだろうか?
映画は興行である。
映画は作品である。
映画は投資である。
僕は、このうち投資というものの比重が、
大きすぎるような気がしている。
あなたが投資家だとする。
映画に詳しくない。
何に投資する?
鉄板を教えてくれ、と必ず言うだろう。
損するリスクがなくて、必ず儲かる物件を紹介してくれと。
映画への投資は何千万から億単位だ。
びびるのもよく分かる。
じゃあ、映画に詳しくない人が、
理解できる映画の企画書の内容って?
人気原作で「内容は保証」されていて、
数字(視聴率、ファン数)を持っている人気芸能人が出て、
という要素で判断しないだろうか?
仮に、新人監督のオリジナル脚本を読んで、
いかにそれが感動し、これを作るべきだと思っても、
他の人に
「それはあなたの主観に過ぎない。
人気原作は○○部売れ、人気芸能人は○○人のファンがいる」
と客観的数字を出されたらどうするか?
主観に過ぎない印象に頼らず、客観的数字を頼るのではないか。
だとすると、あなたは映画の投資をやめたほうがいい。
映画は作品である。
観客は、主観的な感動をしに来るのである。
それが、脚本に書いてあるのである。
嘘だと思うなら、
実写「進撃の巨人」を見るといい。
人気原作、アニメ化も好評、このマンガがすごい第一位、
人気芸能人、三浦春馬、水原希子、石原さとみ他オールスターキャスト。
しかも主題歌は今人気のセカイノオワリ、
監督は特撮の達人樋口真嗣で、軍艦島ロケまでするって。
この要素だけで見るならば、
どう考えても鉄板物件だ。50億の荒稼ぎ見積もりも分からないではない。
しかし中身が糞なのは、火を見るより明らかだ。
このつまらなさは、300%脚本の責任である。
末代まで祟られよ。
つまり、
映画とは作品であるべきだし、
観客は作品を見に来て、
若干興行で(はやりものとして)来ている。
投資には関係ない。
なのに、それをないがしろにして投資をするから、
間違いが起こりまくっているのだ。
30年前の漫画原作。
オンエアはU局のみ。
予算は安いし、新人俳優ばかり。
CGはしょぼいし、木刀のチャンバラのみ。
メイン監督はCMではならしたかも知れないが無名の新人。
しかも脚本まで書く(もう一人セイザーの人が入っているが)。
主題歌は新人バンド。
しかも腐女子向けで舞台化決定。
製作委員会は東宝、アニプレックス、ソニーミュージック、
コスプレ衣装のコスパティオ。
これのどこに傑作の匂いを感じろというのか。
投資から見れば、脚本を読まない限り、
失敗の物件だ。
これが、傑作ドラマ「風魔の小次郎」の、客観的条件だ。
客観的条件は、映画のガワだ。
主観的感動が、その映画の中身だ。
主観的感動には、投資が行われない。
そして投資は、鉄板を求める。
このシステムが続く限り、邦画は死ぬ。
事実死んでるし、腐って縮小していくだろう。
80年代に邦画は死んだと言われたが、
今その悪夢が再び未来に横たわっていると、皆が感じている。
僕は、
あらたな投資の仕組みが出来たとき、
邦画は息を吹き返すのではないかと思う。
俺は面白い中身を書く。
投資のことを考える製作総指揮、
興行のことを考えるプロデューサー、
出てこいや。
そしてその三角形を繋ぐのは、一冊の脚本しかない。
だから僕は脚本のことについて、
これだけのことを書いているのである。
2015年09月15日
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「カメラを止めるな!」は、並の映画で、
きちんと作られた優良作かと。
ただ先行する作品の模倣が多く、
それを指摘しない批評家には問題があると思います。
これらを傑作というステマが糞だと考えます。
ということは糞はどこにあるんでしょう。