2015年09月16日

動詞のレッスン

小説家になるためには、
形容詞(形容動詞含む)を、100、200、1000、
すぐに書けるようにならなければならない、
と聞いたことがある。
小説は描写だ、と考える人が残した言葉なのかもだ。
小説家になる方法はよく知らないので、
この真偽についてはここでは問わない。

しかしこれに倣うなら、
脚本家になるためには、動詞を100、200、1000
ぐらい、すぐに書けるようにならなければならないことは、
僕は断言しておこう。


結局、脚本とは人物の行動とその結果を書くものだ。


たとえば「捜査する」などという抽象的な動詞は、
脚本には必要ない。
指紋をとる、聞き込みをする、事実関係をホワイトボードに貼り込む、
時系列に従って再現する、
犯人とおぼしき人の家へ別件で聞き込むふりをする、
などの具体的動詞で、
「捜査してその後どうなるか」を描くものである。

たとえば「対立する」などという抽象的な動詞は、
脚本には必要ない。
「○○」と言う、向かい合ってにらみあう、
胸ぐらを掴む、脅す、なだめる、
相手のいない所で○○をする、嘘をつく、
などの具体的動詞で、
「対立してその後どうなるか」を描くものである。


プロット状態だと、
このような抽象的な動詞で書くことがよくある。
詳細が決まってないことがあるし。
だが実際の脚本では、
このような具体的動詞の集積で、
何かを表現していくものだ。

特に映画というメディアは、
元々サイレント映画から始まったことを、
常に意識の中に入れておくべきだ。

音声の言葉(台詞、ナレーション)は、
映画にとっては、後付けにすぎない。

映画は「見る」と言い、「聞く」とは言わない。
つまり意識のなかでも、サイレント映画の要素のほうが強い。

写真とサイレント映画の差は何か。
動くか動かないかだ。
主人公の人物が動かないのが写真、動くのがサイレント映画だ。
動くのを表す言葉は、動詞である。
つまり、サイレント映画とは、動詞で記述される。

その動詞を豊かに表現できるパフォーマーが、
優れた役者の条件だった。
サイレント時代のチャップリンを見ればそれは明らかだ。
パフォーマンスの内容は、
パントマイムである。

別にここにない扉を表現することがパントマイムではない。

手や足や体や顔や表情や目線を使って、
「今この人は、どういう気持ちで何をしているか」
を感じよく演じることがパントマイムだ。

つまり、
サイレント映画の台本は、
動詞で表現されるストーリーが書いてあり、
演者はそれを、豊かに伝わるようにパントマイムすることが、
演技であった。


時代が現代になっても、
映画は見るものであり、聞くものではない。

従って、動詞とそのパントマイムが、
見るの中心なのである。

パントマイムというと直感的に変なのだが、
例えば殴るという演技では、
顔の前で拳を振り、相手は首を急激にひねって殴られた振りをするわけで、
本当に殴るわけではない。
つまりこれは殴ることのパントマイムだ。
悲しい演技は、本当に悲しいのではなく、
悲しい様のパントマイムだ。

パントマイムは大袈裟にやることではなく、
感じよくやることだ。
感じよくがリアリティー基準ならば、
リアリティー溢れる悲しいパントマイムをすればよいのだ。

パントマイムというとついつい白い手袋をして、
何かの芸をする、映画泥棒みたいなのをイメージするけど、
世の中の演技すべてをパントマイム(嘘を演じること)と考えれば、
イメージ出来るかと思う。


泣く、肩を組む、背中をバンと叩く、キスをする、
頭を撫でる、そっと抱き寄せる、指でなぞる、
隣に座る、アイスをガリガリ食べる、うきうきして小走りになる、
頭を抱える、書類を提出する、ボタンを押す、コーヒーをこぼす、
椅子に座る、席を立つ、退出する、開く、指差す、
契約書をびりびりにする、ケータイで電話する、紫煙をくゆらせる、
ジャケットをはおる、服を脱がす、
鍵を投げて渡す、飛び降りる、走る、転ぶ、立ち上がる、
殴る、蹴る、壊す、ジャーマンスープレックスをかます、
バイクで逃げる、ヘリで追う、ドリフトして看板を壊す、
ヘリが避けきれずビルに激突して大破する、
核ミサイルを発車する、念動力で車を浮かせてぶつける、
ビームで爆発させる、ワープする、
などなど、
これらは全て動詞であり、
役者はこのパントマイムをすることで、
映画の中では本当に起こっているように見せるのである。

パントマイムで語弊があるなら、
これらをアクションという。

アクションというと、殴る蹴るとかカーチェイスしかイメージしにくいので、
僕は動詞と、一般的に言うことにしている。

映画は、サイレント映画は、
動詞の集積である。



さて、あなたは、どれだけの動詞を知っているかな?

自分の思いつく動詞を、
まる一日かけて、全部書き出す、というのは、
ひとつのレッスンになるかも知れない。

たとえば「捜査する」「話す」「対立する」
「知る」「裏切る」「友好を示す」「説明する」などのように、
抽象的な動詞で、
具体的にパントマイム出来ない動詞もあるかも知れないが、
それはそれで全部書き出して、
あとで分類してもいいかも知れない。


この動詞リストは、
あなたの全ての基本道具になる。

この有限個の組み合わせで、
最終的にストーリーが書かれ、
最終的に演じられる(パントマイムされる)からである。


あなたの脚本には動詞はいくつあるのか?
他人の脚本には動詞はいくつあるのか?
気になったら数えたりして研究するのはとてもいい。


あなたの知ってる動詞はいくつあるのか?
まさか、言う、入る、出る、座る、立つの、
5つぐらいしか、使ってないのではないか?

あなたの脚本作家としての質を決めるのは、
動詞の豊かさが基礎にあると、自覚した方がいい。

(ついでに形容詞、形容動詞、副詞についてもこれをやれば、
更に文章力が豊かになるかもだけどね。
連休は台風も来るし、そういう基礎もいいかもよ。
空手家が最後まで正拳突きを基本にするような、
分かりやすい基本がないのが、文章は難しいね)
posted by おおおかとしひこ at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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