昔のCMの企画では、そこに発見がないと平凡だ、とよく却下されたものだ。
新しいものごとは、新しい発見とペアである。
最近だと、「壁ドンは結構効く」がひとつの発見だったかね。
(どうでもいいが、壁ドンはうるさい隣に向かって壁を叩く、
あるいは叩かれるものだったよなあ)
それはどんな小さなことでもいい。
へえ、それってそうなんだ、と思えること、
人生に対する新しい発見、
新しいものごとの見方、
これからの景色が少し変わって見える考え方、
そういうものが、
「新しいこと」には必要だ。
「人生は正義が大事なのだ」なんてことを改めて書いても、
「知ってるわ」となるものだ。
「自分にある心の闇を認めて、人間は闇と光の同時存在であることを認めるのだ」
というのも、心の闇を扱う物語では、
「もう知ってるわ」だ。
てんぐ探偵では、「闇と光の軸とは別の所、横から光を当てる」という、
新しい概念を提出し、
そういう闇の認識もある、という発見をさせたつもりだ。
(第十集)
ここまで根本的でなくても、なんでもいい。
ちょっとした発見は、CMのネタだし、
なかなかの発見は短編のネタだし、
よく練られた発見は長編のネタだろう。
その発見の大きさが、尺に比例するのではないかと思う。
ちょっとした発見なら、その説得まで時間がかからないから、
自動的に短編になる。
大きなサイズの発見は、その納得まで時間がかかるから、
自動的に大きな発見になるだろう。
長い尺をかけても、たいした発見がないのなら、
それはなんら新しい物語ではなかった、ということになる。
ちなみに最近のCMは、商品情報が発見だと勘違いしている。
人生への発見が必要なのだ。
たとえば、サントリーオールドは、
旨いウィスキーという賞品情報以上に、
「恋は遠い日の花火ではない」という、人生への発見をもたらした。
僕の昔書いた没コピーから拾って来るならば、
「人生はビールだ。苦くて旨い。」(ビール)
「それは、150年の約束。」(保険会社150周年)
「その公園は、全部覚えている。」(公園)
なんてのがある。
人生への新しい発見。
それが物語である。
2015年09月16日
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