2015年09月16日

発見をいれる

昔のCMの企画では、そこに発見がないと平凡だ、とよく却下されたものだ。

新しいものごとは、新しい発見とペアである。


最近だと、「壁ドンは結構効く」がひとつの発見だったかね。
(どうでもいいが、壁ドンはうるさい隣に向かって壁を叩く、
あるいは叩かれるものだったよなあ)


それはどんな小さなことでもいい。

へえ、それってそうなんだ、と思えること、
人生に対する新しい発見、
新しいものごとの見方、
これからの景色が少し変わって見える考え方、
そういうものが、
「新しいこと」には必要だ。

「人生は正義が大事なのだ」なんてことを改めて書いても、
「知ってるわ」となるものだ。

「自分にある心の闇を認めて、人間は闇と光の同時存在であることを認めるのだ」
というのも、心の闇を扱う物語では、
「もう知ってるわ」だ。
てんぐ探偵では、「闇と光の軸とは別の所、横から光を当てる」という、
新しい概念を提出し、
そういう闇の認識もある、という発見をさせたつもりだ。
(第十集)

ここまで根本的でなくても、なんでもいい。
ちょっとした発見は、CMのネタだし、
なかなかの発見は短編のネタだし、
よく練られた発見は長編のネタだろう。


その発見の大きさが、尺に比例するのではないかと思う。

ちょっとした発見なら、その説得まで時間がかからないから、
自動的に短編になる。
大きなサイズの発見は、その納得まで時間がかかるから、
自動的に大きな発見になるだろう。


長い尺をかけても、たいした発見がないのなら、
それはなんら新しい物語ではなかった、ということになる。



ちなみに最近のCMは、商品情報が発見だと勘違いしている。
人生への発見が必要なのだ。
たとえば、サントリーオールドは、
旨いウィスキーという賞品情報以上に、
「恋は遠い日の花火ではない」という、人生への発見をもたらした。

僕の昔書いた没コピーから拾って来るならば、
「人生はビールだ。苦くて旨い。」(ビール)
「それは、150年の約束。」(保険会社150周年)
「その公園は、全部覚えている。」(公園)
なんてのがある。

人生への新しい発見。
それが物語である。
posted by おおおかとしひこ at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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