2015年09月17日

ブロックの結部はターニングポイント

ブロックの冒頭部について詳しく述べたので、
対にあたる結部についても書いておこう。

ブロックの尻は、「つづく」であるべきだ。
その為の一般的なものは、ターニングポイントになることである。


同じく、二幕前半を考えよう。

それらが、7分、15分、8分のブロックに分かれているとしよう。

7分のブロックの冒頭部は、
この7分での最初の推進力を得ているのであった。
その推進力の方向に7分のブロックは進む。
途中にいくつかのターニングポイントはあってもよいが、
最初に生じた焦点(興味)が、
その結部で一端決着がついたようになるが、
しかし終わらない。
(終わってしまってはならない)

決着がついたかと思ったら、
実は全部はついてなくて、
新たな問題がそれに追加されて、
今度はその事について心配しなければならず、
その事について行動しなければならない、
というターニングポイントが必ずあるようにする。

すると、このブロックに関してはほぼ終わりだけど、
話は更に続かなければならなくなった、
という7分になるはずだ。

次の15分ブロックは、
新たに生じたこの問題を受け、
この15分での最初の推進力をつくり、…
とやっていけばいいことになる。

ブロックの大きさはストーリー次第なのだが、
推進力は、どんどん増していくのが理想だ。
(あくまで理想で、実際には流れが停滞しやすいけど)


つまり、逆に考えるならば、
最初の推進力が出来たところから、
ターニングポイントで次へ新たな焦点を渡すところまでを、
1ブロックに数えるべきなのだ。


そのようにブロック分けすると、
話の空間的構造(登場人物の人物関係とか空間の位置関係)
ではなく、因果構造(こういう理由でこうなる)でもない、
構成的構造が(時間的構造)、ようやく見えてくる。

ここからここまでが1ブロックなのだ、
と意識すると、
じゃこのブロックは一言で言うとどういうブロックなのか、
を考えることが可能になる。
このブロックの最初の推進力としてこれは正しいのか、とか、
それをこういう流れにして次へターンする、
などを、俯瞰的に見れるようになってくる。


あなたは、最初にブロック分けを勘でしたはずである。
なんとなく話題で分けたとか、場所(ステージ)で分けたとか。
活躍する人物で分けたとか。
そういうのは、脚本の構成的構造とは関係がない。
最初に推進力を得るところから、
その焦点が変わるところまでが1ブロックだと考えると、
全く違うブロック分けがストーリーに現れてくる筈だ。

その最も巨視的な構造が三幕構成に過ぎず、
実際にはその下の階層の小ブロックで考えて、
実際の執筆ではそれを複数のシーンで書くから、
さらにシーンが下の階層の1ブロックに相当し、
さらにシーンの中でも複数のブロックに分かれる場合もある、
ということである。


以前に、ブロックの最後の一行だけ取り出して並べるメソッドを書いたが、
これは、ブロックの結部がしっかりとターニングポイントになっているのかを、
確かめる為でもあるのだ。

ブロックが冒頭部に推進力がなく、
結部にターニングポイントがなければ、
「だらだらしている」と推測される。

そのブロックは何が焦点なのか。
何の流れの次に来るのか。
次の何の流れに接続して終わるのか。

面白いかどうかという以前に、
その構造になっていなければ、
それはストーリーの中で、確実に面白くないブロックになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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