ブロックの冒頭部について詳しく述べたので、
対にあたる結部についても書いておこう。
ブロックの尻は、「つづく」であるべきだ。
その為の一般的なものは、ターニングポイントになることである。
同じく、二幕前半を考えよう。
それらが、7分、15分、8分のブロックに分かれているとしよう。
7分のブロックの冒頭部は、
この7分での最初の推進力を得ているのであった。
その推進力の方向に7分のブロックは進む。
途中にいくつかのターニングポイントはあってもよいが、
最初に生じた焦点(興味)が、
その結部で一端決着がついたようになるが、
しかし終わらない。
(終わってしまってはならない)
決着がついたかと思ったら、
実は全部はついてなくて、
新たな問題がそれに追加されて、
今度はその事について心配しなければならず、
その事について行動しなければならない、
というターニングポイントが必ずあるようにする。
すると、このブロックに関してはほぼ終わりだけど、
話は更に続かなければならなくなった、
という7分になるはずだ。
次の15分ブロックは、
新たに生じたこの問題を受け、
この15分での最初の推進力をつくり、…
とやっていけばいいことになる。
ブロックの大きさはストーリー次第なのだが、
推進力は、どんどん増していくのが理想だ。
(あくまで理想で、実際には流れが停滞しやすいけど)
つまり、逆に考えるならば、
最初の推進力が出来たところから、
ターニングポイントで次へ新たな焦点を渡すところまでを、
1ブロックに数えるべきなのだ。
そのようにブロック分けすると、
話の空間的構造(登場人物の人物関係とか空間の位置関係)
ではなく、因果構造(こういう理由でこうなる)でもない、
構成的構造が(時間的構造)、ようやく見えてくる。
ここからここまでが1ブロックなのだ、
と意識すると、
じゃこのブロックは一言で言うとどういうブロックなのか、
を考えることが可能になる。
このブロックの最初の推進力としてこれは正しいのか、とか、
それをこういう流れにして次へターンする、
などを、俯瞰的に見れるようになってくる。
あなたは、最初にブロック分けを勘でしたはずである。
なんとなく話題で分けたとか、場所(ステージ)で分けたとか。
活躍する人物で分けたとか。
そういうのは、脚本の構成的構造とは関係がない。
最初に推進力を得るところから、
その焦点が変わるところまでが1ブロックだと考えると、
全く違うブロック分けがストーリーに現れてくる筈だ。
その最も巨視的な構造が三幕構成に過ぎず、
実際にはその下の階層の小ブロックで考えて、
実際の執筆ではそれを複数のシーンで書くから、
さらにシーンが下の階層の1ブロックに相当し、
さらにシーンの中でも複数のブロックに分かれる場合もある、
ということである。
以前に、ブロックの最後の一行だけ取り出して並べるメソッドを書いたが、
これは、ブロックの結部がしっかりとターニングポイントになっているのかを、
確かめる為でもあるのだ。
ブロックが冒頭部に推進力がなく、
結部にターニングポイントがなければ、
「だらだらしている」と推測される。
そのブロックは何が焦点なのか。
何の流れの次に来るのか。
次の何の流れに接続して終わるのか。
面白いかどうかという以前に、
その構造になっていなければ、
それはストーリーの中で、確実に面白くないブロックになるだろう。
2015年09月17日
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