2015年09月18日

AのあとにBを言う

言われれば当たり前なのだが、自覚していなければいけないこと。

AのあとにBを言う。
A次第でBのニュアンスが変わってくる。

「カ〜ンチ、セックスしよ」と、
「(パンツを脱ぎながら)セックスしよ」は、
ニュアンス(言葉以上の意味)が真逆だ。


東京ラブストーリーの名台詞(ちょっと古いけど)は、
それまで「男女の営み」「性交」などと呼ばれていた、
淫靡なもの(下ネタ嫌いな婦女子が眉をしかめるもの)を、
日の光にさらしてもよい、カジュアルなものにした。

女が男に黎属する象徴であったもの
(妻の義務)だったものを、
男女同権の世の流れに従って、
解放したのである。

その後、さらに「エッチ」という軽い言葉が生まれ
(提唱者は明石家さんまらしい)、
密室のまぐわいのニュアンスは、
カジュアルでスポーティーで手軽になってゆく。

だから、
「カ〜ンチ、セックスしよ」は、
「カ〜ンチ、エッチしよ!」と、書き換えてもいい。
ゲームしよ!とか、ラインしよ!とか、
飲みに行こ!とか、おしゃべりしよ!とか、
ぐらいに、軽い娯楽のニュアンスだ。
従来の重かったセックスを、
軽くするのが目的だからだ。

一方、
「(パンツを脱ぎながら)セックスしよ」
なら、とても重たい。
交わい、ぐらいの淫靡なニュアンスだ。
通常の音量(カ〜ンチは、大声だった)ではなく、
耳元で言うレベルかも知れない。
例えば男友達を泊めて、他に寝る場所がなく、
仕方なくベッドに二人で寝て、
おさわりは禁止、としたにも関わらず、
どこかで触れてしまい、我慢していたのだが、
もう一度触れてしまい、
堪らなくなって言うニュアンスだ。

ライティングだって、明るい外と電気を消した部屋の違いぐらいあるだろう。
二人の距離も、遠くで叫ぶのと、密着で背中越しの違いぐらいあるだろう。




さて、毎度僕が下ネタを出すのは、
それだけ人が切羽詰まりやすいからである。
不安定になるとき、物語は生まれるのであった。
(下ネタでない切羽詰まりを考えてもいいのだが)
そして、誰にでも分かりやすいからだ。
ついでに言うと、短いスラングがとても多い。

人は、良く慣れた概念は、短いスラングを使う。
短い言葉が強いのは、
それだけ根本的な言葉なのだ。
(スラングに関しては、僕は「パシフィックリム」での、
「ドリフト」を絶賛している)


で、本題。


セックスしよ、
というBのニュアンスは、
前に来るAの違いで大きく変わる。

これが物語である。

同じBでも、入り口が異なれば違うニュアンスになる
(出口が異なる)し、
同じAでも、出口が違えば違う話だ。

流れとはこういうことだ。
ABのペアから生まれる、入り口から出口への流れ。
その最小の例が、
二言のセリフである。


映画という物語全体は、
この最小のパーツの積層の結果である。

全体のAとBは何か。
その下の階層のそれぞれのAとB。
その下の階層の…
…言葉の次の言葉。

逆に、AのあとにBを言ってその場の流れをつくり、
それに何かを言ってまた流れをつくり、
そのあとに別のブロックを持ってきて流れをつくり、
さらに別のブロックでより大きな流れをつくり、
前半と後半の流れを最終的につくる。

それらを全てコントロールして、
流れをつくり、
楽しませて、深い感動を作ることが、
あなたの仕事である。
posted by おおおかとしひこ at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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