2015年09月19日

ブロックには、途中などないかも。

僕はいつも二幕が苦手で、
設定と結末は出来た気になっても、
その間の「展開」って何だよ、
ということがいまだにきちんと分からない。
(このブログでも度々仮説は出している)

しかし、ブロックに分けていく考え方では、
小ブロック単位で考えるならば、
展開という途中の部分など、
存在しないのではないか?
という仮説が現実味を帯びてくる。


前記事では、
AのあとにBを繋げて、
異なる流れをつくる例を作ってみた。

これが可能ならば、
最小ブロックには、
冒頭と結部があればいい、
ということになる。

ある推進力が生まれたら、
それを決着をつけながら、
別のことをはじめて、
別のことへ焦点をうつせばいい、
(冒頭部で推進力、結部で完全決着でないターニングポイント)
ということになる。


実はこれの巧みな作家が、
浦沢直樹ではないかと思う。

何かの推進力が生まれ、
決着がつかないうちに次の推進力が生まれる。
最終的にそれらが一点に集約して、
全ての伏線が最終回に解決するか、
という点では下手くそと断言するが、
連載漫画の殆どの稼ぎ、
すなわち、「見続けさせること」に関しては、
特化していると言える。


つまり、ただ続けるだけならば、
中間部、すなわち展開部など考えず、
冒頭部→結部(完全には未解決)→継ぎ足して次の推進力、
をループさせればよいということになる。

これの顕著な例は、「マルホランドドライブ」という破綻した映画で、
見ることが可能だ。
恐らくはエヴァも最終的にそうなることが予測される。
(予測したくないが、「ベルセルク」も)

こんだけ風呂敷広げて畳めるはずないよね、
というのは、長期連載漫画にはよくある感想だ。
逆に言えば、それらは、
継ぎ足して継ぎ足して、結果的に風呂敷を広げ続け、
すなわち完全には未解決な部分を増やしながら、
現在まで来ているのだ。


つまり。
ストーリーに中間部、展開部など、ないと考える。

冒頭部と未解決結部兼ターニングポイントで、
継ぎ足し続けるのが前半、
その風呂敷を畳んでいくのが後半、
という、中間部なしの構造を考えた方が、
現実の執筆に即しているのではないか?

それらを俯瞰したときに、
三幕構成になっていると、
すなわち第一ターニングポイントと第二ターニングポイントが、
適宜な所にある構造になっていれば、
真ん中は展開部に見える、
(便宜上真ん中を展開部とよぶ)
というだけの話ではないだろうか?

展開部などない。
二幕などない。

推進力が生まれるところと、ターニングポイントがあるだけだ。
それを1小ブロックとして、
いくつものブロックが直列繋ぎか並列繋ぎで繋がっているだけだ。
(並列繋ぎは、カットバックのこと)

お話の構造をそう考えたほうが、
実は分かりやすいのではないか?


まだ思いつきのレベルだけど、
三幕構成から入らない、
脚本論が書けるかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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