僕はいつも二幕が苦手で、
設定と結末は出来た気になっても、
その間の「展開」って何だよ、
ということがいまだにきちんと分からない。
(このブログでも度々仮説は出している)
しかし、ブロックに分けていく考え方では、
小ブロック単位で考えるならば、
展開という途中の部分など、
存在しないのではないか?
という仮説が現実味を帯びてくる。
前記事では、
AのあとにBを繋げて、
異なる流れをつくる例を作ってみた。
これが可能ならば、
最小ブロックには、
冒頭と結部があればいい、
ということになる。
ある推進力が生まれたら、
それを決着をつけながら、
別のことをはじめて、
別のことへ焦点をうつせばいい、
(冒頭部で推進力、結部で完全決着でないターニングポイント)
ということになる。
実はこれの巧みな作家が、
浦沢直樹ではないかと思う。
何かの推進力が生まれ、
決着がつかないうちに次の推進力が生まれる。
最終的にそれらが一点に集約して、
全ての伏線が最終回に解決するか、
という点では下手くそと断言するが、
連載漫画の殆どの稼ぎ、
すなわち、「見続けさせること」に関しては、
特化していると言える。
つまり、ただ続けるだけならば、
中間部、すなわち展開部など考えず、
冒頭部→結部(完全には未解決)→継ぎ足して次の推進力、
をループさせればよいということになる。
これの顕著な例は、「マルホランドドライブ」という破綻した映画で、
見ることが可能だ。
恐らくはエヴァも最終的にそうなることが予測される。
(予測したくないが、「ベルセルク」も)
こんだけ風呂敷広げて畳めるはずないよね、
というのは、長期連載漫画にはよくある感想だ。
逆に言えば、それらは、
継ぎ足して継ぎ足して、結果的に風呂敷を広げ続け、
すなわち完全には未解決な部分を増やしながら、
現在まで来ているのだ。
つまり。
ストーリーに中間部、展開部など、ないと考える。
冒頭部と未解決結部兼ターニングポイントで、
継ぎ足し続けるのが前半、
その風呂敷を畳んでいくのが後半、
という、中間部なしの構造を考えた方が、
現実の執筆に即しているのではないか?
それらを俯瞰したときに、
三幕構成になっていると、
すなわち第一ターニングポイントと第二ターニングポイントが、
適宜な所にある構造になっていれば、
真ん中は展開部に見える、
(便宜上真ん中を展開部とよぶ)
というだけの話ではないだろうか?
展開部などない。
二幕などない。
推進力が生まれるところと、ターニングポイントがあるだけだ。
それを1小ブロックとして、
いくつものブロックが直列繋ぎか並列繋ぎで繋がっているだけだ。
(並列繋ぎは、カットバックのこと)
お話の構造をそう考えたほうが、
実は分かりやすいのではないか?
まだ思いつきのレベルだけど、
三幕構成から入らない、
脚本論が書けるかも知れない。
2015年09月19日
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