モジュールを複数まとめてモジュールにできる。
シーン単位のモジュールをまとめて、シークエンスに、
シークエンス単位のモジュールをまとめて、ブロックに、
ブロック単位のモジュールをまとめて、幕に。
(ブロック以外は脚本用語だが、
これにあたる単語がないため、ブロックというワードを使った)
三幕構成論は、
話題:センタークエスチョン:―〇 ―■
話題:展開面白ポイント : ―〇
の構造で見る理論だ。
言うまでもなく、〇は、
それぞれ第一、第二ターニングポイントだ。
ミッドポイントを含むと、
話題:センタークエスチョン:―〇 ―■
話題:快進撃 : ―〇
話題:敗北 : ―〇
のような構造になる。
快進撃と敗北は順番が逆になることもある。
三幕構成論は、30、60、30分に各幕を配分する、
(ミッドポイントがあれば、二幕は30分、30分になる)
という楽譜である。
ひとつのモジュールの中に複数のモジュールを含めることも可能だ。
話題A:―〇 ―〇
その他: ―…………―
のように、最初に振った話題に戻ってきているのが原則だが、
Aでない別の話題で終わっている場合もある。
リライトするとき、
最後をAで終わらせる、
または、最初をその話題から入るようにすると、
モジュールの単位が分かりやすくなり、
話の切れ目が分かりやすくなるだろう。
また、全体をひとつのモジュールとして考えたときに、
話題A:―〇 ―■
その他: ―……………―
のように、はじめに振った話題にその後一切触れず、
すべてが解決してから、
はじめの話題に戻って完結するタイプのものを、
ブックエンドテクニックと呼ぶ。
大抵は同じ場所の似たようなシーンで、
変化前/変化後(いわゆるビフォーアフター)を示すことが多いが、
必ずしもビジュアル的に揃えなくても、
意味的にこうなっていれば、ブックエンドと見なせる。
(たとえば脚本添削スペシャルの、
「ねじまき侍」では、賭場と城を対比的に使い、
主人公の変化を意味的に対比させ、ブックエンドとしている)
リライト時にも、このモジュールと話題を意識するとよい。
話題X: ―〇
のように、ある話題が■で終わっていないならば、
その伏線は解決しなかったということになる。
長い原作を縮めて映画にするときや、
構成を変えまくって話を改造したとき、
このような尻切れトンボの伏線が起こりやすい。
これを防ぐには、話題のストーリーラインを丁寧にリストアップするしかない。
直列繋ぎではチェックしやすいが、
何かと合流後並列繋ぎになり、
その後分岐して、放置されたまま、
というのは最もよくあるパターンだ。
気持ちのいいパターン。
話題A: ―■
話題B: ―■
話題C: ―■
のように、複数の心配事が、
一気に同時解決するパターン。
理想は、ほとんどの話題がクライマックスの、
ひとつの動詞でこのようになること。
少なくとも、主人公の内的問題と外的問題が、
同時解決すると、カタルシスを生む。
ついでに、サブプロット(別の人物のストーリーラインの問題)も、
一気に解決すると、気持ちいい。
理想の映画は、
これで終わるか、
あたひとつだけ残しておいて、
ラストシーンでそこに―■を打つことだ。
たとえば「ターミネーター」はこのような構造である。
実践的には、●記号を使うこともある。
その話題は終わった(もう蒸し返さない)が、
別の問題が発生したので、それへのターニングポイントとなる場合だ。
「ロッキー」のきっかけになるシーン、
「俺のロッカーの鍵が勝手に替えられている」は、
ジムのホープに使わせたミッキーのせいだと分かり●だ。
ロッカーの件はそれで決着がつくが、
今度はもっと大きな話題、「引退を考えろ」という、
メインの話題が発生する。
主題:
特に何度も意識にのぼる話題が、主題である。
ひとつの話題として直列繋ぎになることもあれば、
別の話題の時に意識される、並列繋ぎのときもある。
ことあるごとに繰り返しリフレインされ、
これの解決こそがこの物語の主軸であることを、
印象づけるものだ。
たとえばドラマ「風魔の小次郎」の主題は、
風魔vs夜叉である。
これはOPで、繰り返し強調されるモチーフであるし、
人気の夜叉八将軍八分割カットは、
これをひとつずつ撃破するというミッションを示した主題である。
話の終わりに出る星取表(残り風魔あと○忍、夜叉○忍)も、
ことさらリフレインされる。
この背骨に乗っ取ってお話が進む、
という強調では、センタークエスチョンがある。
主題のうち、○○は○○出来るのか?の形式になるものだ。
三幕構成論では少なくとも、
第一第二ターニングポイントの二回出せ、
と強調している。
比較して研究した訳ではないが、
主題の出現頻度が低いものは、
別の話題ばっかりやっていて、
そっちが楽しくなってしまい、「本題を忘れている」
という印象があると思う。
サブキャストのサブプロットが面白くなってきた、
ジャンプ漫画の主役が霞むパターンだ。
(幽遊の飛影とか)
主題に絡む敵キャラ、すなわち悪役がそれになれば印象的になるため、
そうするテクニックもある。
(スターウォーズのダース・ベイダーや、
北斗の拳のラオウ)
ラオウと飛影の違いは、主題に絡むかどうかの違いだ。
主題がないがしろにされるかどうかだ。
(実際、ジャンプ漫画は延命主義のため、
次々と今ある主題を変え続け、最初の主題を残し続けなければならない構造だ)
スプレッド:
話題A:―
話題B: ―
話題C: ―
話題D: ―
のように、次々と話題を変える場面。
〇はあることもないことも。
世界が一気に広がる楽しさはあるが、
それぞれが直結しない(因果関係で直列繋ぎされない)ため、
これらはバラバラに見えて、
バラバラに解決しても、ひとつの話を見た気になりにくい。
仮に同時解決してもだ。
クリストファーノーラン映画ではよくこういう現象がおき、
何本かの映画の同時中継を見させられた気になる。
〇がないため、必然的なストーリーの流れでなく、
単に切り替えが起こったようにしか見えない。
群像劇もこうなりやすく、
「で、一体なんだったの?」という腹落ちがない。
つまりこれは、主題が曖昧になりやすいスタイルだ。
展開というと、スプレッドを考えがちだが、
それは横に広がるだけで、縦への進化ではない。
ターニングポイントを経て、直列繋ぎにしていくと、
無理矢理にでも展開になりうる。
逆に、展開に困ったから、スプレッドに逃げているのである。
こういうときは、スプレッドに逃げず、
主題の解決過程に戻り、常にその周りで話が進むように修正しよう。
もしストーリーに力が足りないのなら、
話題Bを新たにはじめて、
主題Aに並列繋ぎをするとよい。
ブレイクシュナイダーは、
二幕ではBストーリーがはじまる、
と予言しているが、
つまり同じことを言っている。
スプレッドは一見華やかだが、
あとのことを考えない、誤魔化しに過ぎない。
四天王や八将軍の登場、トーナメントの開催などは、
全てスプレッドに属す。
複数キャラを同時に出し、
話題の数を増やした気になるが、
その風呂敷をきちんと畳み、
なおかつ主題へと収束させるのは、
むしろ難しい筈である。
つまり、投げっぱなしの原因になりがちだ。
困ったら新キャラ、の原則は、
単に未来へ問題を先送りするだけだ。
連載漫画では風呂敷を畳み切らなくても必ずしも非難の対象にならないが、
映画では、一本完結が前提のため、あり得ない。
(例えば、百花繚乱キャラのドラマ風魔では、
回収しきれていない話題がいくつかある。
霧風が小次郎を認めること、陽炎の真の目的、
兜丸の教育係設定、闇鬼の人嫌い設定などだ。
夜叉姫を操っていたのはカオスである、
という原作のものを借りたとしても、
解決しきっていないものがちょいちょい残る。
これは僕の責任でもあるし、出来れば続編を作るときに、
解消したいものである)
人の死は、■を生まず、ずっと影響する:
現実でも、誰かが急死するとこうなるものだ。
心にぽっかり穴が空いてしまい、
それを埋めて納得し、その後■を生むのは難しい。
タッチやあしたのジョーは、
長い間かけてそれを時が解決するまでを描いた。
「愛と青春の旅立ち」では、
親友の死は■になったかなあ。
「卒業」というイベント性で、うやむやになってるだけじゃないかなあ。
傑作ですけどね。
安易に人を殺すと盛り上がるけど、代償は大きい。
その人物の持っていた焦点を、
どう引き継ぐかを、各自に課せられるからである。
人を殺さないでハッピーエンドに持っていく話が書けるようになるまで、
僕は人死にを描くべきではないと思う。
モジュール脚本論、とりあえずこれでおしまい。
色々な問題を俯瞰的に考えられる道具なので、
また続きを書くかも知れない。
2015年09月20日
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