よくある質問にまとめて答えてみる。
この演技がダメなのは、脚本?監督?役者?
この台詞がダメなのは、脚本?監督?役者?
この絵がダサダサなのは、役者?監督?カメラマン?
この話が詰まらないのは、脚本?監督?役者?
この演技がダメなのは、脚本?監督?役者?
この台詞がダメなのは、脚本?監督?役者?
ここでは、演技と台詞を分けよう。
一般的には演技に台詞も含まれるが、
議論のために、特別に、
台詞以外の全てを演技という言葉で示すことにしよう。
さて、写真では誤魔化しが利いても、
動画では誤魔化しが利かないことに、
そろそろみんな気づいているだろう。
不細工が奇跡の一枚を撮っても、
動画ならバレバレだ。
モデルがいかに美人でも、
喋らせたら(ツイッターさせたら)アホ丸出し、
ということもよくあるよね。
つまり、時間軸を持つことは、その中の一瞬よりも、
沢山の情報を持つ。
演技は写真のようなもので、
台詞は時間軸を持つものだ。
EXILEのアキラは、写真はかっこいいし、男前だし、
ダンスや写真は素晴らしい。
しかしそこまでだ。
台詞を喋らせたら、アホ丸出しがばれてしまう。
そういう場合は、役者の責任だ。
しかし、どんなにいい役者を使っても、
監督が才能がなければ、
役者のいい部分が出ない。
せっかくいい役者使ってるのに勿体ない時があるのは、
その役者のせいではない。
監督か、脚本がよくない。
全くダメな脚本は、
どんなに名監督、名役者がやってもダメだ。
レストランのメニュー程度の長さなら、
役者の技量でなんとかなるが、
二時間は無理である。
名監督は、ダメな脚本を書き直す権利があるため、
名脚本が必ずしも脚本家によるものとは限らない。
よい演技は、一瞬なら、役者だけでつくれる。
よい台詞は、一場面なら、役者だけでつくれる。
ダメな役者でもダメな監督でも、よい演技と台詞になるのは、
完全に脚本のお陰だ。
その好例はドラマ「風魔の小次郎」を見るがよい。
ダメな演技と台詞は、役者または監督または脚本のせいだ。
それがずっと続くのなら、大抵は脚本が悪い。
全編通してではなく、一部が悪いなら、
役者または監督の責任。
この絵がダサダサなのは、役者?監督?カメラマン?
カメラマンと監督のセンスの問題である。
しかし、予算の壁を忘れてはならない。
映画は、機材代が高いと思われているが、
デジタルになって大差なくなってきた。
本当にかかるのは、人件費だ。
ハリウッドのCGスタッフ300人以上と、
日本のCGスタッフ50人ぐらいとを見比べればいい。
月30万一人に払うとしよう。
1500万と、9000万の差だ。
そして日本のCGは一ヶ月、ハリウッドは半年。
1500万と5億4000万の差がある。
CGは単価が分かりやすいが、
現場には、カメラマンだけでなく、特機部、
照明部、美術部、助監督チーム、制作進行が必要だ。
部やチームという名前から察せられるように、
沢山の人が動く。
現場の人件費が、そのまま絵のリッチさになる。
写真は誤魔化せる。奇跡の一枚と、Photoshopで。
動画は誤魔化しが利かない。
Photoshopの動画版は、普通CG扱いである。
さて、ということは、金を握るのは誰か?
プロデューサーだ。
製作というクレジットが多い。
プロデューサーの仕事は、よく理解されていない。
この程度の企画に対し、
これぐらいの金と製作期間を決め、
そのスタッフィングをするのが、
仕事の本質だと思うとよい。
企画の読み、上がりの読み、それにいくらかけるかは、
主にプロデューサーが決める。
監督やカメラマンが増額を要求しても、プロデューサーがノーならノーだ。
スタッフは、降りるか我慢してやるかのどちらかだ。
この話が詰まらないのは、脚本?監督?役者?
一に脚本。二に脚本。三に脚本。
ドラマ「風魔の小次郎」を見たまえ。
二人の監督が作風がバラバラでも、
新人役者ばかりでも、
脚本が面白かったから面白かったのだ。
(舞台版のつまらなさと比較せよ)
それらを総合的に予算配分した、プロデューサーの読みが当たったとも言える。
(当たり前だが、プロデューサーは、
脚本を脚本家に頼むのであり、自分では書けない。
この人に頼む、というコネでしかない。
風魔の脚本的成功は、僕がたまたまそこにいたから、
ということだと思う)
糞進撃は誰のせい?糞脚本家のせい。
糞ガッチャマンは誰のせい?糞脚本家のせい。
糞アンフェアthe endは誰のせい?糞脚本家のせい。
日本映画の最大の弱点は、脚本だ。
もはや俺は使命感で、脚本の秘密を暴露している。
早くみんな育ってくれ。
十年後に日本映画はあるのかな?
それまでに君たちは活躍するのか?
2015年09月21日
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