2015年09月24日

主観と客観の差

あなたが人生で一番驚いたことは何か?
その時の表情をしてみたまえ。
あなたが人生で一番気まずかったことは何か?
その時の表情をしてみたまえ。
あなたが人生で一番怒ったことは何か?
その時の表情をしてみたまえ。

さて、いくらあなたが芝居が上手くても、
その表情だけで、あなたの人生一番の感情は、
決してリアルには伝えられない。

その一番の感情は、あなたのなかにしかない、主観だからだ。


あなたの中のその感情は、
たしかに確かなものなのに、
それは決して赤の他人には伝わらない。

それは、あなたの中の感情だからだ。

あなたが人生で一番の感情だとしても、
それは主観的に一番の感情に過ぎず、
客観的に一番の感情ではない。

主観と客観の違いだ。


あなたが一番驚いたことが、
どんなことだか僕は知らないが、
最近僕が一番驚いたのは、
セッションの事故シーンだ。
あなたの驚きがこれを客観的に越えていれば、
それは、客観的に一番の驚きになる可能性がある。

あなたが部屋でゴキブリを見て驚くのが一番かも知れないし、
そうじゃないかも知れない。

主観的経験は他と比較できない。
客観的経験は他と比較できる。
その違いだ。

あなたがゴキブリが滅茶苦茶嫌いで、部屋で目があったことが、
セッションの事故シーンよりも驚いたかも知れないが、
しょっちゅう部屋にゴキブリが出る人なら、
セッションの事故のほうが驚きだろう。

つまり、主観的感情は、
他人からは知ることが出来ない部分
(主観者の人生経験)に依存する。

一方、客観的な感情は、
それまでの、観客全員が共有したストーリーから出てくるものだ。

ロッキーとミッキーの友情を知っているからこそ、
我々はミッキーの死を悲しむのだ。
それまでのことが客観的に共有されているからこそ、
その悲しみを全員が共有し、
ロッキーの表情に泣くのである。

ちなみに、ここでロッキーがどんな表情をしても、
たとえ無表情だったとしても、
同様にロッキーは悲しいと思う、
というのがモンタージュ効果実験の結果だ。
つまり、悲しみは、ロッキーの表情から感じるのではなく、
それまでのストーリーから感じるのである。


主観的感情は、点で発表される癖に、
それまでの主観者の線は発表されないため、分からない。
ロッキーの悲しみの表情だけを見て泣いてくれと言うようなものだ。
客観的感情は、線で発表される。
だからそれを皆が理解して、同様な感情になる。
ロッキーの悲しみの表情があろうがなかろうが、
我々は悲しむ。

主観的感情しか理解しない人は、
ロッキーの悲しみの表情を見て、人は泣くのだと、誤解する。


さて、これは鑑賞時の話だが、
あなたの書く話にブーメランを飛ばしてみよう。

あなたの書く話が、
主観的感情が書いてあったりしないか?

あなたが主観的感情たっぷりで書いて、名作だなどと思いこんでやしないか?

あなたが思う感情に、
どうして観客はならないのか?
あなたが、線で誘導していないからだ。

悲しい感情ならば、その一点で悲しくなるように、
それまでの線で描かれていなければならない。

驚き、恥ずかしい、怒り、どれでも同じである。
あなたの人生で一番の感情は、
あなた以外人生で一番の感情だと思わない。

あなたがメアリースーを書いてしまって、
指摘されても分からないのは、
主観的感情を、客観的感情と間違えているからだ。




ちなみにこれの例をひとつ。
その時の表情は普通に見えたのだが、
実は彼女はとても俺が好きだったのだ、
ということを、大分あとにSNSで知ったことがある。
彼女の主観的感情は、僕にとっては客観的感情ではなかったのだ。
(勿論、僕が鈍い説はある)

人生はこうかも知れないが、
三人称の芝居はこうではない。
勿論、彼女役の女優がその場面だけで、どんなにセクシーな表情をしても伝わらない。
それ以前のストーリーで、
彼女が俺をとても好きだという感情を作り上げないとダメだ。

そうすれば、彼女がちらりと俺を見るだけで、
(俺以外の)全員が、彼女が俺をとても好きだと分かるのだ。


役者の顔の表情が演技だと思っているのは、
ドシロウトだけでいい。
posted by おおおかとしひこ at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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