僕は、
「これ面白いぞ」しかないと思う。
オナニー作品だろうが、
歴史的傑作だろうが、
「俺はこれが面白くてしょうがないと思う」
というほとばしりだけが、
人を巻き込む力を生み出す。
情熱は伝わる。熱意は伝わる。信じる力は伝わる。
逆に、それがない作品なんてただのきれいな額縁だ。
問題は、それが自分一人にしか通用しない、
レベルの低いやつが増えたというだけの話だ。
他人に強制されて嫌々作ったり、
各方面の調整の結果だったりするものも、プロ作品に散見される。
調整するのがプロ監督の仕事だなんて誤解しているプロデューサーすらいる。
俺たちは、お前らの商売上の利益を調整することになんの興味もない。
魂が震えるか震えないかにしか、興味がない。
そうでもなかったら、ここまで自分を削り取るような仕事を、
一生の仕事にするわけがないだろう。
他人の顔色伺うぐらいなら、
どうしてもこれが作りたかったんだよ!
という情熱を燃やさなくてはならない。
しかも、一人だけのオナニーの炎でなく、
全ての人を巻き込む、おおきな炎をだ。
ひとつヒントを置いておく。
「かつて見たものを自分でもやってみたかった」は、オナニーだ。
「誰も見たことのない、新しく面白いこと」が正解だ。
たとえば、風魔の6話、「崖から落ちる人形」は僕の前者だ。
しかし冒頭とラストの、墓の前の小次郎と霧風の会話は、
僕が考えて書いた後者だ。
それはとてつもなく難しい。
最も私的な、最も公的な人に、あなたはならなければならない。
2015年09月26日
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