身も蓋もない言い方をすれば、
「ボトムアップで作り込んだあと、
トップダウンで組織化しなおし、
それに合わせて全ボトムアップを書き直す」
ものである。
短い話、15分や30分程度ならば、
そのようなややこしいものは必要なく、
ボトムアップでもトップダウンでもどっちでやってもいい。
ざっくり書いて、あとは微調整で問題なさそうだ。
それは多分一日で書ききれる量に関係している、というのが僕の説だ。
一日で書ける量なら、頭のなかで覚えきれ、
操作しきれるのだ。
二時間映画の脚本がとりわけ難しいのは、
全てが頭のなかに入らないからではないかと思う。
頭のなかで覚えきれない量をコントロールしなければならないからだ、
と僕は考えている。
さて、
ボトムアップとは以下のようなものだ。
場面、事件数、小ネタ、台詞、ひとつの行動、
ジョーク、コメディリリーフ、伏線と解消、
キャラクターの性格、仕草、細かい設定、小道具、
焦点、ストーリーライン、シーン、シークエンス、
モジュール、部分的なビジュアルアイデアなど。
トップダウンとは以下のようなものだ。
テーマ、テーマを示したビジュアル(イコン)、
この作品を今世に問う意味、
ログライン、三幕構成、ストーリーライン同士の配置関係、
ジャンル、ターゲット観客、大雑把な世界観、
思想、ざっくり言うとこんな感じ、
など。
どっちから作るものでもない。
どこからか誕生して、
膨れ上がり、自己組織化して、
形になってゆくものである。
松本人志の映画は確実にボトムアップからしか作られてなくて、
トップダウンから作った形跡がない。
だから構成が弱く微妙だ。
構成から作った話は、テンポ良く分かりやすいが、
魂を揺さぶるような何かが足りない。
結局、ボトムアップで生まれた魂を寄せ集め、
一度トップダウンで整理し、
あぶれたものは棄てて、
その思想で細部を統一しなおさなければ、
二時間映画の脚本にはならないと思う。
そこに相当の痛みがあるから、シナリオは難しい。
素人は、部分か全体しか文句を言わない。
だから脚本家は何度も直して、おかしくなっていくのだね。
2015年09月27日
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