2015年09月27日

脚本はボトムアップで書くのか、トップダウンで書くのか?

身も蓋もない言い方をすれば、
「ボトムアップで作り込んだあと、
トップダウンで組織化しなおし、
それに合わせて全ボトムアップを書き直す」
ものである。


短い話、15分や30分程度ならば、
そのようなややこしいものは必要なく、
ボトムアップでもトップダウンでもどっちでやってもいい。
ざっくり書いて、あとは微調整で問題なさそうだ。

それは多分一日で書ききれる量に関係している、というのが僕の説だ。
一日で書ける量なら、頭のなかで覚えきれ、
操作しきれるのだ。

二時間映画の脚本がとりわけ難しいのは、
全てが頭のなかに入らないからではないかと思う。
頭のなかで覚えきれない量をコントロールしなければならないからだ、
と僕は考えている。


さて、
ボトムアップとは以下のようなものだ。
場面、事件数、小ネタ、台詞、ひとつの行動、
ジョーク、コメディリリーフ、伏線と解消、
キャラクターの性格、仕草、細かい設定、小道具、
焦点、ストーリーライン、シーン、シークエンス、
モジュール、部分的なビジュアルアイデアなど。

トップダウンとは以下のようなものだ。
テーマ、テーマを示したビジュアル(イコン)、
この作品を今世に問う意味、
ログライン、三幕構成、ストーリーライン同士の配置関係、
ジャンル、ターゲット観客、大雑把な世界観、
思想、ざっくり言うとこんな感じ、
など。


どっちから作るものでもない。
どこからか誕生して、
膨れ上がり、自己組織化して、
形になってゆくものである。

松本人志の映画は確実にボトムアップからしか作られてなくて、
トップダウンから作った形跡がない。
だから構成が弱く微妙だ。

構成から作った話は、テンポ良く分かりやすいが、
魂を揺さぶるような何かが足りない。


結局、ボトムアップで生まれた魂を寄せ集め、
一度トップダウンで整理し、
あぶれたものは棄てて、
その思想で細部を統一しなおさなければ、
二時間映画の脚本にはならないと思う。

そこに相当の痛みがあるから、シナリオは難しい。

素人は、部分か全体しか文句を言わない。
だから脚本家は何度も直して、おかしくなっていくのだね。
posted by おおおかとしひこ at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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