というか、お話のどこでも、主人公のアイデンティティーは揺るがされる。
お前は誰だと常に問われ、俺はこうだと示していく過程が、
物語そのものだ。
それは物語が動き始めるきっかけ(カタリスト)から、
重要な大ターニングポイント、
すなわち第一第二ターニングポイント、ミッドポイントで、
常に問われる。
それ以外にも展開上重要なポイントで、
必ず問われ、何かしらのリアクション(行動)で自分を示さなければならない。
そのなかでもマックスが、クライマックスである。
一番簡単なものを。
ゲーム「ドラゴンクエスト」のラスボス、竜王戦の前。
「俺と共に世界を支配しよう」という提案が竜王から出される。
主人公は、どちらかを選択しなければならない。
竜王の仲間になれば、自分の利益だけを取る悪の一員。
この申し出を断れば、正義をなす人間だと示し、かつ、
竜王との直接対決をするリスクが発生する。
つまり、主人公は、選択という行動によって、
自分が正義であることを示すのである。
自分が正義なのか悪なのか、アイデンティティーが揺るがされるポイントが、
クライマックスにある。
これはとても大事なことだ。
なんのために行動するのか、ということがテーマになるからだ。
(ドラクエの場合は、正義だ)
行動にはリスクがある。
そのリスクを引き受けてでも行動するからには、
それなりの動機がある。
単純にリターンだけを狙う、功利的な計算の場合もある。
しかしそれ以上に大事なのは、
その行動の意味だ。
たとえばボランティアをする行動には、
売名という意味が発生したり、
純粋にそのことを心配しているという意味が発生したりする。
売名だと批判されるリスクを負ってでも、
そのことを心配する、という意味があったりする。
物語というのは、主人公(とサブキャラ)の行動の軌跡だ。
厳密にいえば、どの行動、発言にも、
リスク、功利的なリターン狙い、動機、功利的だけでない意味がある。
クライマックスでは、そのリスクが最大になり、
本当にそれをやる意味があるのか?
それをやる意味はそもそも何か?
と自ら問わざるを得ない、一番切迫した状況になる、
ということである。
だから主人公のアイデンティティーが揺るがされる。
これをやる俺の意味は?と。
そこで、そもそもの動機を確認するのである。
そう言えばこう思って出発したのであったと。
たとえば○○を解決したいと思ったからだ(外的目的)。
が、そこにはもっと個人的な思いがあったはずだと。
つまり、個人的な隠された動機(内的目的)である。
これまでの長い話の中で、主人公のそのような個人的な動機が、
どこかで明かされ、それなりにいい話だった筈だ。
それがないのなら、ロボット主人公だ。
糞ガッチャマンのケンに聞いてみよう。「あなたは何故命を賭けてギャラクターを殺すのか?」
糞実写進撃のエレンに聞いてみよう。「あなたは何故命を賭けて壁爆破の任務を受けたのか?」
(ミカサが殺されたから復讐する為、というのは一切出てこなかったね)
この二糞作品は、それが0だから糞なのである。
クライマックスは、リスクが最大にある。
つまり、死ぬかも知れないということだ。
クライマックスは俺ツエーを見せるところではない。
俺ツエーはリスク0(最強ならリスクはない)だからだ。
逆だ。俺ツエーをしても死ぬかも知れないのが、クライマックスだ。
死ぬかも知れないのに、何故そのリスクを負うのか、
が物語なのである。
つまりは、再び話は動機に戻るのだ。
何故それをするのか?に。
それは、主人公が自分自身に問うたり、
自然と誰かに問われるだろう。
その行動をする意味はなにか。
それが物語だ。
あなたの物語のクライマックスは何か。
最大のリスクは何か。
最大の行動は何か。
最大の動機は何か。
最大の意味は、何か。
そして最後に確定する、
その主人公のアイデンティティーは何か。
それは、「このリスクを負い、この行動を成し遂げた、
こういう意味のある人」として、
記憶されるだろう。
例えば正義でもいい。
出来るなら、どういう種類の正義か、もっと細かく言えるといい。
ただの正義なら、そこらへんにたくさんある。
この主人公なりの正義が新しい正義ならば、
それは新しい物語になるだろう。
2015年09月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック