受け手としては何となく感じている、
この説明しがたい感覚の正体は何だろう。
盛り上がりとそうではないところ、
などのような感覚でとらえるのが正解なのか?
そうではないところってどういうことか?
それは詰まらないところなのか?
かつて押井守が、わざと休む所を入れるのだ、
と言っていて成程と思ったが、
それはパト2の夢の島やら浜松町の屋形船あたりの風景に語りが入る、
「退屈なパート」のことを指していて、
それは違うと思った記憶がある。
「北北西に進路を取れ」では有名な、
砂漠の無音部分が続く数分間がある。
これと何が違うのだろう。
僕は、起伏や緩急とは、
観客の緊張感の疎密ではないかと考える。
新しい学校に転校した。
あなたは緊張感で一杯だ。
先生、友達、学校の環境、学校までの通学路。
それらを一通り把握するまでは緊張だ。
あるいは、慣れて、馴染んで来るまでも緊張だ。
見たこともない料理を食べる。
緊張する。
どうやって食べるのか、どこを食べるのか、
これは旨いのか。
人は、分からないものに出会うと緊張する。
そしてそれが理解できると安心して緊張がほぐれる。
動物としての機能だ。
犬を見よう。
食べなれたドッグフードや残り物をあげるなら、
犬も慣れたものだろう。主人から渡されたら安心して食べる。
しかし今まで食べたことのないもの、
例えばドラゴンフルーツを主人があげたらどうするか。
まず見て、匂いをかぎ、ちょっと舐めたりつついたり、
かじってみて食べられるか確認するのではないか。
つまり、理解しようとして緊張するのである。
知らない人が撫でようとしても同様だろう。
その人を理解しようとして緊張する。
知らない街に突然捨てられても、緊張するだろう。
それと同じだ。
観客は、知らないものに出会うと緊張し、
理解できると安心する。
たとえば、お話がはじまったとき、
観客は緊張している。
この話に慣れるまでそれは続く。
どういう所の話か。どういう人の話か。
それが分かってくると安心して緊張がほぐれる。
その時に大抵小さな事件が起こる。
緊張がはしる。
その事件がどういうことなのか、理解しようとする。
分かってくると安心するが、
大抵全解決せずに、新たな「わからない部分」が出てきて、
また緊張する。
その繰り返しではないか。
あるいは、死ぬかどうかという緊張もある。
危険である。
死んだらどうなるか分からないから、
これは究極の、理解できないことへの緊張かもだ。
失敗すれば人生終わりだ、という擬似的死のリスクも同じくだ。
これまで築いてきたものが崩れることの危機は、
その後どうやって立ち直っていいか、
「わからない」ことから来る緊張である。
失敗してもやり直せばいいや、は、リスクにならない。
失敗したら二度と立ち直れないから、リスクになるのだ。
危険は、映画にとって基本中の基本だ。
誰かが殺される。主人公が死にそうになる。誰かに狙われる。
闘う(殴りあいから訴訟合戦から中傷まで)。
危険。知らないこと。
この二つ(究極的には同じだけど、表現が異なるから二つと数えよう)が、
緩急を決めるのではないだろうか。
危険や知らないことに出会うと、急や起や不安となり、
危険を回避して安全を確保したり、分かって把握できたら、
緩や伏や安心となるのではないか?
つまり、物語とは、
知らないもの(人、こと、場所、など)を知っていく過程、
危険を回避する過程、
なのではないだろうか。
実際にはより複雑にするため、
知っていけばいくほど謎が増えていってより引き込まれたり、
全ての謎が最後に一気に解けて気持ちよかったり、
知って安心した筈のことが実は全く違っていて驚いたり
(ミスリード、どんでん返し)、
危険を回避して安心したら更に大きな危険があったり
(ホラーによくある、逃げ切ったと思ったら反対側に!)、
危険は承知だがこれしか突破口はないと覚悟したり、
危険を避けるが故により大きな危機になることに気づかなかったり、
おもしろおかしいパターンが、
いくつも開発されていると思う。
映画を見慣れた人ほど、ハイハイこれね、
というパターンに気づきやすい。
そこで冷めるか、こういうことねと乗るかは、
観客や作品次第でもあるが。
起伏とは何か?
緩急とは何か?
僕は、観客の緊張の度合いであると思う。
盛り上がりが起だ、という直感は、
成功するかどうか緊張したり、
アクションなどの危険があるからではないだろうか。
起伏はたとえばずっと同じリズムなら飽きるから、
転調することに似ている。
何を転調するかというと、
観客の知らないことと、危険の二つである。
情報を集めて大体把握したら、危険がやってくる。
危険を回避したら、分からないことが増えた。
分からないし危険だ。
そうやって、物語は緩急や起伏をつけていく。
全て分かった、完全に安全だ、
となるのは、ラストシーンだけである。
2015年09月30日
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