2015年10月03日

「書きたいのだが書けない」は本当か?

多くの初心者にとって、この悩みはポピュラーだと思う。
しかしよく考えてみると変な話だ。
書きたいのなら、書けばいいからだ。

実は「書きたいのだが、書けない」という悩みは、
別の問題を抱えているときの言葉だと思う。


たとえば。


書いている自分が好きなだけ。

作家の自分がカッコイイと思ってる、ファッションに過ぎないとき。
そういう奴はペンや紙やPCでも揃えて、
意識高いカフェで小一時間過ごしたまえ。

もし形から入るなら、
名作を十本書き写すぐらいの努力はすることだ。
一本書くのに、計十本ぶんぐらい文字数を自分から出力するのは、
現実的なことである。
週一二回、小一時間で終わる創作などない。
一本書くのと数ヶ月のオシャレ生活は、引き換えである。
形から入るなら、それぐらいまずやんなさい。

泥のような努力でしか、果実は生まれない。
しかし果実に泥のあとはない。
ものをつくるということは、そのようなこと。
あなたは花や果実しか見てなくて、
それに一年費やされている現場のことを知らないのである。


一部は思いつくのだが、全部を書けない。

あなたはその一部しか好きじゃないのかも知れない。
たとえばアクションシーンしか好きじゃないのかも知れない。
イチャイチャするシーンとか、
設定画を並べて妄想することが、
好きなだけかも知れない。

お話を作ることが好きなのは、そういうことではない。

次どうやって解決しようということと、
これをこうやって解決していくと面白いんじゃないか、
ということを愛していることだ。

解決できそうにない問題を思いついては、
それの見事な解決を思いつくことに喜びを見いだすことだ。
一発で解決出来ず、あることが解決したらまた新たな問題が出てきて、
それを解決したら…という連鎖を組むことを、
愛するということだ。

それはパズル制作者や、数学者の人生に似ている。

彼らと違うことは、数学的空間ではなく、
実人生ベースの空間が我々の舞台であり、
そこで登場人物が見せる人間的な振る舞いを愛しているということである。

ただ登場人物が好きなのは違う。
「その人が危機に見せる何か本当のこと」を愛するのである。

吊り橋効果か?イエスだ。
我々は、架空の人生をベースに、
落ちてしまいそうなオリジナル吊り橋を作り、
それをどうしても渡らざるを得ないきっかけをつくり、
渡り始めたはいいがとても渡りきれると思えず、
しかし渡るチャンスを自力で切り開くような、
ぎりぎり渡りきる様子を創作する。



人間を愛せない。

ドラゴンや化け物は大好きだ。
銃やロボットは大好きだ。
王子や姫も大好きだ。

しかし人間に興味がないなら、人間に興味を持つべきだ。

人間は詰まらないか?人間は醜いか?人間は嫌いか?
だとしたら、あなたにチャンスがある。
どう詰まらないのか、どう醜いか、どう嫌いかを、
徹底的に上手く書けるようになろう。
人間の負の部分を研究しよう。
それを悪役にすればいい。

あなたは、物語の中でその悪役を、
ドラゴンや勇者やロボットで、やっつけることができる。
逆に、その悪役を主役にして、
自滅していく様を描くことも出来る。
一見完璧な人格者なのに、
裏では醜いという人間の本質の一部を書くことが出来る。

人間の愚かさや醜さに興味がないなら、
あなたはこの仕事に向いていない。
人間の素晴らしさにしか興味がないなら、
宗教家や松岡修造にでもなることだ。

愛するということは、
CMのような底の浅い幸福イメージではない。
地獄の底まで付き合ってなお居座る、
ある種の執念と関係している。
人間の深さを理解するのには、人間の全部を見ることだ。

人間の面白さは、一人の時にはあまりない。
複数いるときの複雑さのときに現れる。
本音と建前、嘘と本当、表面と裏、
統合と分裂などのときに、現れる。



あなたは本当に書きたいのだが書けないのか?
まだ、書きたい話を思いついていないだけではないか?

書きたい話があるのなら、
その話に関する調べものを一年二年費やすのは、
何の苦もない。
その話の複数のバリエーションを考えるのも、
何の苦もない。
書きたい理想と書けた現実があまりにも違って落ち込んだり、
上手い人のやり方を研究するのだって、
何の苦もない。

それが辛くてやめちゃうのなら、
たいして書きたくもなかったのだ。

あなたは現実が嫌で、物語の世界に逃避することが大好きだろう。
そのうち、自分でオリジナルの想像をしはじめたのだろう。
作家とは皆そのようなことから始まると思う。
その意味では、入り口に立つことはとても簡単だ。

あなたは現実が嫌だから、留学を夢見て何もしない人なのか。
それとも英語スクールに通い、
何年の何月から何月まで、滞在する場所を決めて交渉する人なのか。

前者なら、ほんとうに書きたいわけじゃないと思う。


小説でも漫画でも脚本でも、演劇でも作詞でもいい。
何かを書くということは、
あなただけの中でしか起こらない。

書きたいのだが、書けない?
童貞を卒業したいのだが出来ない人は、
童貞卒業を怖がっている節がある。
童貞卒業したら、ただの人間になってしまうからだ。
魔法使いの都市伝説は、自分をプレミア化する心理が働いている。
あなたは並以下の人間だ。
だから書くのだ。
並以上なら、物語の主人公や偉人伝の偉人のように、
リアル人生でリアルに成功しただろう。
自分を大したことのない人間だと思うことは、
実はまず最初に思うべきことである。

では、どんなことがあなたの才能なのだろう。
努力で伸ばす以外にないと思う。
研究したり、数をこなすしかないと思う。

アイドルを目指す人のうち、アイドルになって残る人は何人いるのか。
ただ可愛いだけでなく、頭のよさや立ち回りや、芸のキレがないと生き残れない。
それは最初からあったのではなく、途中で磨いたものである。
東大を目指す人のうち、東大生になれる人は何人いるのか。
ちょっと天才なだけでなく、その後継続的に勉強しないと知識も増えないし、
考えも知見も深まっていかない。

作家を目指す人のうち、何人プロで食えるのか。
ちょっと書けるだけでなく、その後継続的に勉強しないと、
すぐにダメになる。


書きたいのだが、書けない?
書きたいなら書くしかないじゃないか。
道具も初期投資もいらない。
ペンと紙だけで出来る。
俺なんか文字打つPC持ってなくて、
まんが喫茶でやることもある。
(トータルすれば買っときゃ良かったのだが)
自転車に乗りたいのだが自転車がないのとは訳が違う。

脳を半分損傷した人だって、手を失った人だって、
書きたいときは書く。


あなたは本当に書きたいのだが書けないことに、
まだ直面していない。
ただ書くのを怖がっているだけだ。




(最近また書けないキーワードで検索してくる人が増えたので、
書いてみました)
posted by おおおかとしひこ at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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